有倉武術を体験する!
この動画は2008年5月1日に有倉治療院にて特別にご指導いただいた記録です。
自分(辻藤)と有倉先生との関係は表紙ページに記載してあります。
自分の空手術は肉体的パワーを向上させる事で自信を付け各種大会にて戦ってきました、
確かに肉体のパワーはある一定期間は非常に大きな効果を発揮しましたが、年齢と共に
低下するパワーをどの様にカバーするかを試行錯誤している時有倉先生に再会しました。
自慢話になってしまいますが、自分のパワー空手は三度の世界大会出場時外国人選手と互角に
戦うことができました、そしてパワーリフティングに転向しマスターズ100Kg級で世界大会にも出場した
完全なるパワー至上主義的人間です。
そんなアスリートを目指していた自分に眼から鱗が剥がれる思いをさせてくれたのが有倉先生です。
魅力ある有倉武術のほんの一部分ですが皆さんに見ていただきたいと心から願います。
押忍!
1 パンチに対する動作
辻籐さんと、お手合わせ?
編集してませんが、そのままお読みください。有倉
この5月1〜2日は、夕方から辻籐さんと武術稽古をしました。今まで私の武術稽古相手は殆どが試合経験の無い武術愛好家やマニアでした。武術的指導を受けたのが、剣術と合気道のH先生(いつもはHさんと呼んでいましたが、素晴らしい武術でしたので先生とします。)、沖縄唐手のIさん(I さんは先生と呼ぶなと言ってましたので、もしインターネットでこのHPの存在を知るとシアトルから電話が来そうですから・・・)、植芝開祖の直弟子のW先生(患者さんでしたので、いつもWさんとお呼びしていました。この先生は、素晴らしい人格者であり、武術から格闘技の何でも精通しておられ、自らは評論家とおっしゃっていましたが、剣術に関しては歴史から何まで何でも知ってる感じでした。)
ここで、W先生のお話しに入ります。記憶違いがあり、W先生にお聞きしたニュアンスと違いますがその点は考慮してください。W先生のお話は、小説の朗読のようでもあり、W先生の解説が入り素晴らしい内容でした。とにかく、何をご質問させていただいても、必ずかえってきます。私もかなりマニアなのですが、何をお聞きしても、ニコニコして質問の内容をご存じてあったようにお答えくださります。それなら○○先生の稽古がいいですよ!、昔の剣術では・・・・なんだよ。そういえば、清水の次郎長親分が山岡鉄舟に指南を受けた話なんですが、山岡鉄舟が清水の次郎長親分に剣で打ち込んでくるように指示したところ、打ってくるなり剣を落として直ぐに後ずさりしたそうなんですよ。鉄舟が、次郎長になぜ逃げると言うと、次郎長は『先生のように柔らかい剣には勝てないから、逃げるに限る・・・。こっちが打っていって、力で押し返してくるような奴には、そのまま打ち込んじゃえば極まりですよ・・・、力で返してくる奴は恐かネェ、先生のように柔らかい剣は只者じゃねぇ〜、にげるがかちでさぁ〜・・・』、鉄舟はそれを聞くと、次郎長親分に剣の極意をヤクザなりに気が付いていることを褒めたそうです。
それは籐平(とうへい)先生(籐平光一先生;植芝開祖の弟子)が、ハワイでやっていましたよ。向こうのレスラーが籐平先生を持ち上げようとしても、持ち上がらないんですよ。少しずつ重心移動をするんですね。そういえば、私がペルーで暴漢に襲われてその瞬間に何をしたと想います?なんと平手打ちですよ・・・・、暴漢は逃げましたが、普段稽古しない当身がとっさに出たんですよ。大先生(開祖のこと)はよく言ってましたよ、当身が7割、合気道の関節技は3割だと、最初に剣術が無いと合気道ではない。時代が時代ですから、合気道には突き蹴りに対する受けではなく剣なのですね。最近は、突き蹴りに対しての合気道を研究している合気道Sと言うのがありますから、私がご紹介しましょうか?・・・・・。剣術の榊原健吉は大きい人で180センチくらいあったそうですよ、丸太棒のような太く重い木刀をブンブンと音を立てて素振りしてたそうですよ。羽賀準一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%B3%80%E6%BA%96%E4%B8%80
この羽賀準一先生が、植芝開祖の実力を疑っていたそうで、合気会に友人がいることから良く出入りしていたそうです。羽賀準一先生が横柄な態度をとっても開祖が何も言わないので、実力が無いんだろうと思っていたと言います。ある日、羽賀先生が道場で一人のときに、開祖から一手お相手しましょうになり、立ち会うと一歩も踏み込めず、ただ後ずさりするのみで何もできず完敗だったといいます。このことは、羽賀先生の著書にも詳しく書いてあります。開祖は、恥をかかせぬために皆の前では立ち会わなかったようです。羽賀先生は、横柄な態度でいれば開祖から声がかかると考えていたらしく、一向に声が掛からないので開祖が実力が無いと決め込んでいたそうです。確か1年~1年半だったと想います。
ウィキペディアには次のようにありますが、これは開祖に羽賀先生がやられたことと同じです。
羽賀は道場で以下のようなエピソードを残している。
羽賀が左片手に握った竹刀で相手の喉を突き、その竹刀を喉元につけたまま進む。すると相手は逃げることができず、そのまま後退して道場の羽目板に頭を押し付けられた。さらに、喉元の竹刀を外しても相手は全く動けず、羽賀に頭の後ろをヒョイと押されると床にバタンと崩れ落ちた。
羽賀先生は、己のそれまでの行動を非常に恥じたといいます。
辻籐さんとお手合わせを書くつもりが、どこかで脱線ですが、これが私の癖です。でも、面白い話だと想いますよ。
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