博多承天寺住職が豊後の國に赴かんとする時甘木山安長寺に投宿した折俄に生死の間を彷徨っているとき、『吾、神早素盞鳴ノ神ナリ、昔、此処ニ、ワガ社有レドモ兵火ニ罹レリ、汝、モシ、ワガ社ヲ再建ナサバ汝ノ病ヲ除カン』との霊夢(神勅)を蒙り、弟子宗晋に命じて社殿を造営し素盞鳴尊を斎祭り、禾穀豊饒、無病息災の祭りを厳修し、後に上奏して「甘木山祇園禅寺」と号する事と成ったのであるが、その折、当地(甘木)に夏特有の流行病がはやったので、直翁和尚は垣棚(セガキ棚)を造りて、自ら台上に登り「祇園さま」のご神水を振り撒き乍ら甘木の街中を、無病息災の祈祷をなした。これが甘木祇園山笠の草創と言われるものであります。

 江戸期になると益々盛んとなり、『甘木祇園山笠縁起』に見られるように庄左という紺屋が牛頭天王の霊夢を蒙り、山笠を作りて千年の邪気を祓う事から始まって又元禄の頃踊り(山笠踊り)を再興して氏子息災を祈念していったのです。年々町の邪気も除かれるようになりそれにつれ町が発展していき又、諸国の人々も参詣するようになり甘木町には“市”が立ち繁盛していったのであります。又、俗の諺に『祇園風に吹かるるものは、無病なり。』この祭りに『逆らい直(すなお)ならぬ人は当社の祟りを受けたる者数多し 是神霊の罪なるべし』と言い甘木町の冠たる祭事となったのです。これは『甘木祇園山笠縁起〜江戸期』に見られる通り飾り山(作り山)の盛大な状、踊り(山笠踊り)の多種な題目にも窺われます。
“市”の名残は現在も四重町、四日町、七日町、八日町等の町名に残っています。

 現在(平成)も紆余曲折は有っても、営々と甘木町の氏子によってこの山笠行事は受け継がれてきているのです。

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最終更新日

2001年11月23日

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