日本の戦後の社会福祉制度については、1945年8月の敗戦とともに、米軍の占領下において、新たな施策が開始されることから始まる。戦後の混乱した社会情勢のもとにおいて、浮浪児対策は緊急課題であった。戦災で両親を失った孤児、引き上げ孤児等が、物資の不足と、日常生活をなんとか維持することで精一杯という世相のもとで、浮浪しては物を乞い、金品を窃取するなどの不良行為を繰り返していた。また、母子、障害者、復員軍人等、生活能力を失った人々の困窮も深刻で、占領軍(GHQ)1946年2月「社会救済に関する覚書」を発表し、基本原則を確認する。「社会救済に関する覚書」は、一般に公的扶助3原則と呼ばれ、@無差別平等の一般扶助主義、A扶助の実施責任主体の確立、B救済費総額の制限の禁止、というもので、これは、後の社会福祉全体の基本理念として普遍的な原則に連動していく。
やがて、浮浪児、孤児対策が進んで、1947年12月、児童福祉法の公布となり、児童委員や児童相談所の設置となった。次いで、主として戦争の結果、一挙に増えた戦傷病者を救済することを目的に、1949年12月、身体障害者福祉法を制定し、これに生活保護法をあわせた「福祉三法」ができあがり、そのうえに社会福祉政策のあり方をめぐって社会保障制度審議会が、1950年10月に「勧告」を発表した。それは社会保障、国家扶助、公衆衛生、社会福祉の各分野にまたがる、新たな制度体系の提唱を行ったもので、将来への展望をもたせる内容になっている。
1951年には、社会福祉全分野にわたる具体的な施設運営や人事配置に関する規定を定めた社会福祉事業法も公布され、以降、設置基準や公費助成、指導監督に適切な対応が図られるようになった。
1960年頃から、日本は高度経済成長期に入り、池田内閣が経済優先、所得倍増政策を掲げて登場するが、インフレが進むなか、社会福祉の対象者はこの後少なくなったわけではなかった。また、人口の都市集中に伴う過密、過疎化は地域生活の環境条件を悪化させ、核家族化は家族扶養能力の低下や家族解体を生む原因となった。
1964年には、母子福祉法が成立し、社会福祉の六法体制(生活保護法、児童福祉法、身体障害者福祉法、知的障害者福祉法、老人福祉法、母子福祉法)といわれる制度化は一応の完成をみたが、この間、経済的な困難が疾病や老後生活の不安を増大させることに対処するため、1958年に国民健康保険法、翌1959年に国民年金法が制定された。しかし、こうした政策ではとうてい追いつかない猛スピードで人口の高齢化が進み、それまでの施設収容主義では、もはや対応できない状況となったため、社会福祉は、それまでの施設中心、機能分散型といった性格を変え、在宅中心、機能複合型の「地域福祉」を基盤とする性格をもつようになった。
戦後の社会福祉制度は、1990年頃から大きな転換期を迎えたといっても良い。その要点は、ローカリゼーション(地方主権)、ノーマライゼーション(普通主義常態化)、参加と協同、数値目標と計画評価といった、1970年代以降の欧米ではすでに実現しつつあったコンセプトを社会福祉制度に取り入れてきたことである。
高齢者福祉の分野においては、1989年12月に「高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略(ゴールドプラン)」が策定されたが、その後、大幅に高齢者保健福祉サービスの基盤整備の必要性が明らかとなり、1994年に「新ゴールドプラン」(新高齢者保健福祉推進十ヵ年戦略)として見直しが行われた。さらに1999年には、@活力ある高齢者像の構築、A高齢者の尊厳の確保と自立支援、B支えあう地域社会の形成、C利用者から信頼される介護サービスの確立を基本的な目標として「ゴールドプラン21」(今後5ヵ年間の高齢者保健福祉施策の方向)が策定された。また2000年には介護保険法が実施され、高齢者福祉の理念は「措置」から「契約」へ移行されることになる。
また、障害者福祉分野においては、1993年3月に「障害者対策に関する新長期計画」が策定され、また2006年4月には障害者自立支援法が施行された。障害者自立支援法では、公費負担による医療、介護給付などの利用者負担制度が見直され、障害福祉計画の策定、入所に関わる契約制度に移行するといった特徴も加わる。
以上、戦後の社会福祉制度の動向について述べてきたが、福祉のあり方は時代とともに、常に絶えず変わっていく。過去の福祉の歴史を学び、次の時代への糧とすることは非常に重要なことであると思う