社会福祉における自己覚知とは、なぜこの利用者に対しては安心したり不安になるのか、あるいは激しい憤りを感じたり心底から同一化して同情心で一杯になるのか等について、自己の言語・感情及びメカニズムを自己が客観的に理解できることをいう。
では何故、社会福祉専門職には自己覚知が必要なのか。ここでは私自身が受け持っている仕事で、あるケアマネジャーから受けた困難事例の相談を元に考えてみたい。
私は今治市役所で介護保険の苦情処理の担当をしているが、先日、居宅支援事業所のケアマネジャーと訪問介護事業所のサービス提供責任者が、ある利用者のことで相談にやってきた。相談の趣旨は、利用者が非常にわがままでこれ以上のサービス提供は事業所としても困難であるということであった。具体例としては時間帯を問わず深夜であっても電話があり、「印鑑や貯金通帳を盗まれた」と笑いながら話したり、またヘルパー利用中であっても、ヘルパーが片付けようとすると物を動かすことが気に入らない、すぐに担当を変えて欲しいと訴える、又物が見つからないとヘルパーを疑うといった具合である。ケアマネジャーとしても、その利用者は身体機能的には生活援助及び身体介護が必要であるとの判断のもとに今まで我慢してきたが、それも限界が来てこのまま担当を続けていたら自分がノイローゼになりそうだと涙ながらに訴えるのである。
その場ではまず介護支援専門員の抱える困難事例については、地域包括支援センターが相談窓口であること、又、一度包括職員と共にその利用者宅を訪問してみるということで話を切り上げた。
以上が経緯であるが、誤解を恐れずにいうならば、ここでの問題は利用者ではなくケアマネジャーなのである。
この時点でのケアマネジャーは、何故利用者が深夜に電話をかけてきて笑いながら印鑑や通帳がなくなっていることを告げるのか、何故ヘルパーが物を動かすことに抵抗するのかという疑問に目が向けられていない。私がこんなにも一生懸命にお世話をしているのにどうして利用者はそれに応えてくれないのかという不満で一杯なのである。
ただこういった状況に陥った場合に、1人で違う視点を持つことは難しい。人は誰でも主観を通して感じ、フィルターを通して意味づけをする。自分が自分で考える限り客観視などということは有り得ないのである。
自己覚知は、自己を客観的に理解し適切な自己理解をすることであるが、具体的な方法としてはやはり他者に助言を求めることであると考える。但し、その場合には他者の助言をたちどころに否定しないように心がけ、自分の意にそぐわないような助言であっても「このような考え方もあるのだ」という助言ストックを作っておくことが望ましい。そういったストック容量が大きいほど、困難事例に遭遇したときに多角的な視点からの判断が可能ではないだろうか。
人は人の数だけ考え方があり、その全てを理解することは出来ない。しかし、利用者を理解する際に、自己の価値基準や感情が働いてありのままの他者を理解することの妨げることは望ましくない。援助関係を適切に維持していくためには、援助者自身の考え方に幅を持たせるよう日頃から意識的に様々な考え方に触れておく必要があると考える