ドイツ第三帝国海軍 戦闘艦  Kriegs Marine Schlacht Schiff

【 シ ャ ル ン ホ ル ス ト 】



グナイゼナウ




シャルンホルスト 基準排水量 31,850t 起工 1934年6月30日
全長×全幅 230.0m × 30.0m
(改装後) 235.0m × 30.0m
竣工 1939年1月7日
喫水 9.91m 造船所ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠
機関出力/最大速力 160,060馬力/31.0ノット 搭載燃料
航続力
重油6,300t
17ノットで1万浬
搭載機 Ar-196 水上偵察機×3機 射出機 2基
兵装 SK C/34 54.5口径28.0cm3連装砲×3基
SK C/28 55口径15.0cm連装砲×4基
SK C/28 55口径15.0cm単装砲×4基
SK C/33 65口径10.5cm連装高角砲×7基
SK C/30 83口径37mm連装機関砲×8基
SK C/30 65口径20mm単装機関砲×10基
MG34 7.92mm機関銃(艦内装備)
装甲舷側 350mm
甲板 105mm
主砲前面 360mm
主砲天蓋 150mm
同型艦 シャルンホルスト Scharnhorst
グナイゼナウ Gneisenau
乗員1,630 〜 1,968名
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 第二次大戦型戦闘艦の中でもその美しさにおいて世界随一と謳われたドイツ巡洋戦艦シャルンホルスト級。1934年計画で仏戦艦ダンケルクの対抗艦として設計された。
 基本的な運用構想は前級―――装甲艦ドイッチュラントに準じており、3万2000トンという排水量の割に小ぶりな28cmという主砲口径は、この艦が第二次大戦におけるドイツ海軍の戦略構想「通商破壊艦」に沿うものとして決定された。建造時から廃艦に至るまでの間に幾度か主砲口径の増大化(47口径38cm連装砲への換装)が図られているが、一刻も早い就役を望む声と悪化する戦局によってそれは実現されなかった。
 また、高速性を追求するために採用された高温高圧缶はしばしば無視できぬほどの故障を引き起こし、同級(特にシャルンホルスト)の行動を制約する一因となった。

 就役後はドイツ海軍に存在するただ二隻の主力艦となり(この時点ではビスマルク級は竣工していない)、戦力において圧倒的に勝る英国海軍を相手取ることになる。
 1939年9月4日。
 ドイツ野戦師団がドイツ・ポーランド国境を越えてからわずか3日後。二隻はエルベ河口ブルンスビュッテルに投錨しているところを英空軍爆撃機に狙われた。高空から迫るのはヴィッカース・ウェリントン。14機。同じ頃、ヴィルヘルムスハーフェンのヤーデ湾、シリヒ泊地でも装甲艦アドミラル・シェーア、軽巡エムデンらが空襲を受けていた。
 エムデンはやられたが、二隻の巡洋戦艦は直掩機に守られて無事だった。

 10月8日。
 二番艦グナイゼナウが軽巡ケルンを伴ってノルウェー沖に進出。大西洋で作戦する装甲艦アドミラル・グラフ・シュペーを支援するための作戦だった。このときシャルンホルストは高圧ボイラーの故障により、動けないままであった。
 翌11月。二隻は揃って出撃し、アイスランド沖でラワルピンディを撃沈する。排水量1万6697トン、15cm砲8門を備えた武装商船。ラワルピンディを仕留めた二隻は、この直後に巡洋艦ニューキャッスルの追撃を受け、戦艦ネルソン、ロドニー、巡洋艦シェフィールド、サウサンプトン、デヴォンジャー、エディンバラ、ノーフォーク、サフォークほか多数の英国艦によって北海を封鎖されるなどの窮地に立たされたが、11月26日、悪天候を利用して封鎖を突破、27日正午、ヴィルヘルムスハーフェンに無事帰投した。
 戦力に優れる英国海軍を可能な限り引っ掻き回すという「通商破壊艦構想」は、完璧な成功を収めたのであった。少なくとも、このときは。
 二隻の巡洋戦艦が帰還した後、海軍軍令部は高らかにこう宣言している。


「我が戦艦がフェアロー=アイスランド水域にあらわれたことは、敵がその優勢にもかかわらず、本国周辺水域で恒常的制海権を保持できぬことを証明した。その結果は英国の威信失墜および中立国の英海軍観への持続的影響である」

(カーユス・ベッカー著 中央公論新社「呪われた海〜ドイツ海軍戦闘記録〜」第一部より)



 1940年4月。シャルンホルスト級はヴェーゼル演習作戦に参加し、英国艦隊を誘致して味方部隊の上陸を支援。英巡洋戦艦リナウンと交戦する。グナイゼナウはリナウンの前檣楼に砲弾を浴びせたが、自身も射撃指揮装置を破壊されてしまう。シャルンホルストは、またしても機関故障で追撃ができない状態だった。結局、雪嵐の中の砲撃戦ということもあって双方共に決定打を与えることができず、この戦闘は引き分けに終わる。しかし英艦隊の誘致という目的は果たされ、ノルウェー戦の軍配はドイツ側に上がることになる。
 同年6月。ユーノー作戦についた二隻の主力艦は、ノルウェー沖で最高の標的を目にすることになる。
 英空母グロリアス―――排水量2万2500トン。搭載機数48機。
 護衛部隊―――二隻。A級駆逐艦アカスタ。そしてアーデント。
 風上をドイツ艦に押さえられた空母は、攻撃機よりも自艦の速力を信頼した。6月7日17時15分。グロリアス艦長、G・ドイリー・ヒューズ大佐は艦を南に走らせる。17時21分。シャルンホルスト級は針路を150度に向け、さらに追撃する。アントン、ブルーノ砲塔が火蓋を切ったのは、それから11分後だった。
 17時38分。グロリアス被弾。さらにグナイゼナウが砲戦に参加。グロリアスは雷撃機を甲板に上げ始めるが、命中弾が発艦を不能にしてしまう。
 17時52分。グロリアスがスカパ・フローにドイツ艦発見の報告を送る。何故か戦闘中とは一言もいっていない。
 18時19分。ようやく二度目の打電。空母集団司令部を呼ぶが、グナイゼナウが妨害電波を発信。これを阻害する。
 18時30分。グロリアス沈黙。傾斜により、甲板上の航空機が海中に滑り落ちる。半時間後―――グロリアスは沈没した。

 こうして思わぬ僥倖により大型艦を仕留めたシャルンホルスト級だったが、護衛の駆逐艦アカスタの反撃によりシャルンホルストが被雷。ツェーザル砲塔の真下に魚雷を受けた同艦は、以後半年近くをドックで過ごすことになる。このときは損傷を免れたグナイゼナウもまた、6月20日の出撃で英潜水艦クライドの雷撃を受け、艦首の大穴を塞ぐための休養を余儀なくされてしまう。
 史上稀な水上戦闘艦による航空母艦撃沈という栄光を手に入れた同級だが、その見返りとして彼女らは大戦初期という通商破壊艦にとって貴重な時間を失うことになった。

 戦列復帰後の二隻は、1941年1月のベルリン作戦で10万トン撃沈の戦果を上げたものの、その後はブレスト軍港で絶え間ない空襲に晒されてグナイゼナウが損傷、シャルンホルストはまたしてもボイラー修理で半年間の行動不能に陥ってしまう。
 1942年2月に実施された英仏海峡突破作戦(ツェルベルス)は成功を収めたが、その月の下旬にはキール空襲によってグナイゼナウが大破。この後、もう二度と作戦に出ることはなかった。
 軍港内での被弾を免れたシャルンホルストもまた、ナルヴィク進出後は1943年9月のスピッツベルゲン島の連合軍気象観測基地砲撃に参加した後、3ヵ月後のノール岬沖で英巡洋艦ベルファスト、ノーフォーク、シェフィールド、戦艦デューク・オブ・ヨークらと交戦し、沈没した。
 世界でもっとも美しい戦闘艦と評されたシャルンホルスト級の戦歴は、開戦から4年目の、12月26日―――クリスマスの翌日に、こうして幕を閉じた。




シャルンホルスト






写真:"GERMANY"
参考:「MILITARY CLASSICS vol.13」
「呪われた海 〜ドイツ海軍戦闘記録〜」





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