大英帝国海軍 駆逐艦  

【 ア ド ミ ラ ル テ ィ S 級 】



H51 スカウト



セイバー 基準排水量 905t 起工 1917年9月10日
全長×全幅 84.12m × 8.15m 竣工 1918年11月9日
喫水 2.99m 造船所フェアフィールド社
機関出力/最大速力 27,000馬力/36ノット 搭載燃料
航続力
重油380t
15ノットで4,800浬
兵装 QF Mk.\ 10.2cm単装砲×3基
53.3cm連装魚雷発射管×2基
45.7cm単装魚雷発射管×2基
2ポンド単装砲×1基
同型艦(計11隻) H18 セイバー Sabre
H54 サラディン Saladin
H26 サードニクス Sardonyx
H21 シミター Scimitar
H51 スカウト Scout
D85 シカーリ Shikari
H50 ストロングホールド Stronghold
H28 スターディ Sturdy
H04 テネドス Tenedos
H29 サネット Thanet
D86 スレシアン Thracian
乗員90名


 第二次大戦開戦時、すでにほとんどの艦が第一線任務に適し得なかった老朽艦。建造は全大戦時にまで遡り、一番艦の起工は1917年9月である。艦齢は20年を超えており、セイバーは標的艦に、シカーリは標的艦アガメンノンの無線操縦艦になるなど、雑役に当てられた艦も多かった。
 元々アドミラルティS級は北海南部や英仏海峡での使用を意図しており、それ専用として設計された小型艦であるために艦隊任務に適しているとは言い難いものであった。しかも同級中1隻は1920年に難破し、その他40隻以上が大戦間スクラップとして売却されるなどしており、残存艦の大半も1930年後半までには予備艦となるなどしてその数を減らしており、1939年9月の時点で在役していたのは11隻であった。
 1940年末、同級の内の5隻―――シカーリ、セイバー、サラディン、サードニクス、シミターは対潜護衛艦として後部の主砲2門と魚雷発射管を陸揚げし、代わりに12ポンド砲1門と12.7mm4連装機銃2基、そして1斉射14本の投下を可能とする爆雷兵装を装備した。こうした改装がなされる一方、極東配備となる艦は大きな変更をされないまま回航されており、香港やシンガポールといった地域で防衛任務に当たることになる。

 1942年12月。
 日本軍による蘭印侵攻を食い止めるべく、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ、巡洋戦艦リパルスを基幹とする英東洋艦隊の護衛としてテネドスも同行するが、航続力の不足から分離されてしまう。シンガポールに帰港したテネドスはその後の空襲もかいくぐって生き延びるが、その翌年、コロンボ沖で日本機に撃沈されている。
 スカウト、サネットの両艦もシンガポール脱出に成功するが、サネットは1942年1月26〜27日の夜、マレー海岸を目指す日本軍侵攻船団の迎撃に向かい護衛部隊と交戦、撃沈された。スカウトの方はかろうじてインド洋方面へ逃げ延び、コロンボを拠点として活動、1945年初めにトマンコマリーで解役されたのち、本国のブリトン・フェリー社で解体された。
 ストロングホールドはスカウトほどの幸運に恵まれず、蘭印で活動中、重巡摩耶に600発以上の砲弾を消費させながらも被弾、沈没している。
 スレシアンの場合はさらに不運で、1941年のクリスマスに香港で擱座して身動きが取れなくなったところを日本軍が捕獲、第101号哨戒艇として活動後、練習艦として横須賀の水雷学校所属となっている。
 この他、スターディが極東に配備される予定であったが、1940年のフランス陥落に伴い配備中止、護衛用として本国行きを命じられたのち、スコットランド西岸沖ティレー島沖で座礁難破してしまった。
 一方、本国海域にとどまった艦は第22駆逐群に配備されて西方近接海域内で船団護衛に当たった。艦齢、サイズ、過積載という悪条件に苛まれながらも大西洋で任務を果たす同級は、第21駆逐群としてアイスランドからの行動に従事した後、1943年頃からスコットランド水域での訓練・実験任務に回されていった。
 なお、日本軍の手中に渡った第101号哨戒艇ことD86 スレシアンは、1945年に英軍が再接収して祖国の手に戻るが、結局香港で解体されてしまった。
 1918年から就役が始まったアドミラルティS級は、ふたつの世界大戦―――その終焉を見届けたのち、1947年中に姿を消した。




 
H54 サラディン
H54 Saladin





写真:"The Royal Navy"
参考:大日本絵画社 「第二次大戦駆逐艦総覧」






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