第一話 【双胴の悪魔】
1
波濤が艦を撫でた。
晴天。波は優しく、風もほとんどない。マリアナの空から照りつける光が、甲板に反射して眩しく映る。
前方に目を転じれば、そこには多数の味方艦艇と、第零遊撃部隊の護衛艦の姿が見える。今やほとんど遊撃部隊の所属艦と化してしまった感のある軽空母・龍驤も、彼女らに守られるようにして進んでいる。その上空を、友軍戦闘機がフライパス。爆音をひきながら遠ざかっていく。
第一機動部隊司令官・小沢治三郎は、大鳳の艦橋からそんな光景を眺めていた。
「間もなく、第一波の攻撃が始まる時刻です」
参謀の言に、小沢は小さくうなずいて返す。「・・・そうか。いよいよだな」
周囲の海面を埋め尽くす艨艟の群れ。その情景を見回しながら、小沢は脳裏で状況を繰り返す。
帝国海軍第一機動部隊。
実戦配備が完了したばかりの新鋭艦・大鳳を旗艦に、歴戦の翔鶴・瑞鶴を加えた一航戦。改装空母・隼鷹、飛鷹を主力とする二航戦。その他の小型空母をかき集めた三航戦。この三個航空戦隊を核につくり上げた航空打撃艦隊の総称。
搭載機は駄作と評された二号零戦を引き上げ、防弾装備と急降下性能を向上させた新型零戦―――52型のほか、爆撃機に彗星、攻撃機に天山を配備した。空飛ぶ棺桶とまで言われた九九艦爆や九七艦攻よりも大幅な性能改善を見せたこの機体は、今回の作戦に於いて大きな力となってくれるはずだった。
その新鋭機で構成された第一波攻撃隊が敵機動部隊を目指し飛び立って久しい。
本日未明に発見された敵艦隊は大小2隻の空母を含んでいた。軍令部からの報告では他に複数の空母群が存在するはずだったが、ためらうことなく発艦を指示。直掩専任艦となった龍驤を除く全空母から攻撃隊が発進し、間もなく敵艦隊と接触するはずだった。
米軍の手から内南洋を守るべく差し向けられた機動部隊だったが、その戦力は決して十分なものとは言い難い。内南洋各地の陸上航空部隊が共同攻撃を仕掛けてくれるとは言え、帝国の勝率がそれほど高くないことを小沢は知っていた。その上、敵は洋上の空母機動部隊だけではない。もうひとつ「厄介な敵」が襲来する可能性を、遊撃部隊から知らされている。米太平洋艦隊を相手取りながら「あの強敵」と戦うのは、想像以上につらい戦いとなるだろう。
マリアナ防衛の大任を背負った司令官―――小沢治三郎は、攻撃隊が飛び立った空を複雑な表情で眺めていた。
「第零遊撃部隊・旗艦より信号」
前方を進む遊撃部隊の護衛艦から発光信号が送られていた。見張りが内容を読み上げる。
「敵偵察機の接近を探知。子細は補佐官を通じて送る」
小沢は傍らを振り返った。異界から派遣されたオペレーターが応じる。耳から口元にかけて伸びるレシーバーを用いて情報を受け取り、素早く用紙に書き取っていく。敵機1。方位113。高度3500。距離―――
「直掩機に連絡。偵察機を寄せ付けるな」
指示は無線を通して戦闘機に飛ぶ。命令を受けた直掩隊の一部が迎撃に移った。銀翼をきらめかせ、高度を上げていく。
今作戦に当たって第零遊撃部隊から派遣されたのは、前方を進む旗艦と、艦隊後方に位置する僚艦の2隻のみであった。昨年のサイパン沖海戦で受けた被害は大きく、旧第四戦隊は文字通り全滅、第一戦隊もこの2隻がかろうじて戦線復帰に間に合った程度で、残る1隻は未だに台湾沖で修理中とのことだった。
わずか2隻だけの援軍ではあるが、その戦闘能力には大きな期待が寄せらている。いずれ発生するであろう防空戦闘では、機動部隊の中のどの艦よりも卓越した能力を見せてくれるだろう。これまでの戦いで多くの戦闘艦を失った帝国にとって、彼らは貴重な護衛戦力の一員であった。
その遊撃部隊を羨望の目で見つめながら、参謀が息を漏らした。
「彼らの電子技術は大したものですね。我々の電波が届かない距離でも容易に敵を捕捉してしまう」
「我々にその技術力がないだけだ。欧州では、大戦勃発直後から激しい電子戦が繰り広げられていたと聞く。彼らだけの専売特許というわけでもなかろう」
そう返しながら、小沢はふと思い出す。
(欧州戦線、か・・・・・・)
元はといえば、このマリアナ決戦も急転する欧州情勢に引きずられる形で派生したものだった。
数ヶ月前―――異界の支援を受けた独軍はついにモスクワを落とし、新型兵器の投入でロンドンを壊滅させた。弾道弾という名のその兵器は、艦砲などよりも遥かに長い射程を誇り、搭載された自動航法装置のおかげで目標を決めてしまえばあとは勝手に弾頭自身が標的に向かっていくものだという。似たような兵器のことは昨年のサイパン沖海戦でも報告されていたが、あれはあくまで対空、もしくは艦隊防空用の戦術誘導弾であり、都市を標的にするような戦略兵器ではない。
以前からドイツがそのような兵器の研究を進めていたとは聞いていたが、これほどまでに早く実用化にこぎつけ―――それも一都市を壊滅させてしまうほどの威力を持っているものとは思いもよらなかった。これはあくまで噂に過ぎないのだが、欧州に出現した超兵器戦艦が そのロンドン破壊の一翼を担ったとも聞く。
いずれにせよ情報は錯綜しており、現時点で状況を正確に掴んでいるものはいなかった。唯一全貌を知るであろう第零遊撃部隊は、口を閉ざしたまま語ろうとはしない。結果、ドイツの脅威をこのままにはしておけずとして、この報告に危機感を覚えた一部の者たちが日米講和・対独戦線集中を叫び始め・・・・・・太平洋講和構想が誕生した。いずれ世界の脅威ともなり得るドイツを早期に叩くべく、太平洋戦線を終結させようというのだ。
この知らせを受けて、祖国は二つに割れた。講和派と、継戦派。
前者はこれ以上の戦争長期化は祖国に不利と判断し、後者はドイツの技術を得て米軍討つべしと主張した。米国でも意見は分かれていたようだが、開戦からこのかた、日本軍がほとんど自国領から進軍できず、迎撃戦ばかり繰り広げていたことが強く作用し、独軍の脅威を重視・・・・・・対独戦線に全力を注ぐべく、日米講和に踏み切るという。
ただしその講和に先立って、米軍はマリアナの利権獲得を目指して最後の侵攻を開始した。戦前からの領土であったグァムを含め、講和前にマリアナを押さえてしまえば・・・この内南洋が米軍の手に収まるばかりでなく、講和会議での発言力強化にも繋がる。講和に当たり自国の利益を少しでも大きなものにすべく、彼らは総攻撃を開始したのだった。
舐められたものだ、と小沢は思う。
確かに真珠湾作戦の失敗から始まり、帝国は守勢に回ってばかりだった。マーシャルでもサイパンでも、我々は常に守る側に立っていた。遊撃部隊の力を借りてようやく米軍を押しとどめている状態に過ぎないかもしれない。だが、それでも戦う力は残されているのだ。
この第一機動部隊をはじめ、マリアナの各島に配備された基地航空隊。それに戦艦部隊。陸奥を筆頭に、日向、金剛、比叡、榛名。「台湾沖の特別作戦」に当てられた扶桑を除く稼動戦艦の全てをこのマリアナ海域に投入した。これらの基地航空部隊と連合艦隊の総力を以ってすれば、米太平洋艦隊の攻撃などに押されはしない。負けることなどあり得ない。
講和のため、祖国の存亡のためにも、この内南洋を渡すわけにはいかないのだ。
マリアナは、渡さない。
―――この戦、必ず勝利に導いてみせる。・・・必ずだ。
異界の水兵が表情を変えたのは、そのときだった。
「旗艦より新たに報告。『マリアナ上空にノイズ確認! 警戒せよ』」
双眸が引き締まる。「・・・来たか」
敵が超兵器を投入してくることは、すでに遊撃部隊から知らされていた。
だが、たとえ超兵器が相手であろうとも負けるわけにはいかない。そのための「対策」も作り上げた。あの超兵器を撃墜するための「秘策」と、そして祖国救援のための「作戦」がある。
「・・・神よ」
頼んだぞ。
我知らず漏れた囁きを、オペレーターが冷ややかな目で見つめていた。
2
空は硝煙に満ちていた。無数に撃ち上げられる高角砲弾が、蒼穹を黒煙で埋め尽くしていた。
弾幕が明確な殺意を持って攻撃隊に襲い掛かる。砲弾が炸裂するたびに友軍機が被弾し、炎を曳いて落下する。多くの攻撃機が突撃を阻まれていた。敵弾は恐るべき精度でこちらを捉え、旭日の翼をへし折っていく。弾幕から逃れようと離脱を図った機体には待ち構えていた敵戦闘機が牙を剥く。低空の雷撃機、高々度の艦爆、それらを守る戦闘機。あらゆる機体が弾丸の雨を浴びせられて墜ちていく。それは圧倒的な強さだった。
第一波攻撃隊を率いる指揮官・垂井明少佐は完全に動転していた。何だこの敵は。強力な火箭。弾幕。迎撃機。今までに刃を交えてきた機動部隊とは、決定的に異なっている。何だ。何が違うというのだ。
攻撃を仕掛ける数分前まで、少佐は勝利を確信していた。敵はこちらの艦隊を発見できず、逆に我々は敵を捉えている。発見された敵艦隊はあくまで複数存在する空母群のうちのひとつに過ぎないが・・・これは各個撃破を望める好機でもある。・・・・・・しかしその目論見は、今や完全に瓦解していた。
原因のひとつは、敵の戦闘機だった。敵はこれまで零戦が獲物としてきた旧型―――F4Fではない。それよりも一回り大きな機体に、大直径大馬力の発動機を搭載した新型だった。零戦を遥かに上回る速力、火力、それに防弾性能。傍から見ていても、その差は歴然だった。友軍機は自分よりも性能に優れた敵に追いまくられ、銃撃を浴び、撃墜されていった。
さらに悪いことに・・・・・・敵は数でもこちらを凌駕していた。攻撃隊よりも高い位置から待ち伏せを仕掛け、次々と僚機を討ち取っていく。一撃離脱を繰り返し、零戦の反撃を封じ込めつつ攻撃機を落としていく。友軍機も奮闘しているのだが、質と量、さらに高度の優位性を押さえられては抗しようもなかった。零戦が、彗星が、天山が、コクピットを撃ち抜かれ、尾翼を四散させながら落下する。海面に突き刺さった翼が虚しく破片を撒き散らす。
弾片が機体を掠めた。至近距離で炸裂した砲弾が愛機を切り刻む。傷付いた攻撃機は揚力を失い、落下を開始する。また1機、友軍機が姿を消した。
「畜生! 何なんだ、あの砲弾は!」
眼前の光景に堪え切れず毒を吐く。
そう。あの砲弾こそが元凶だった。
通常、対空砲火の命中率は4000分の1と言われている。4000発の砲弾を撃ち上げて、1発当たるかどうか。・・・もちろん火砲や射撃指揮装置の性能、操作員の練度、現場の気象条件など様々な因子が絡み合い、実際の値はかなり前後する。だがそれを差し引いて考えたところで、今回の敵の対空砲火は、そんな常識を完全に覆していた。
迎撃機を振り切り、輪形陣への侵入に成功した艦爆隊が急降下を開始する。高速を以って知られる新型機、彗星が一個小隊。鮮やかな一本の列になって突っ込んでいく。その動きを見るだけで、その部隊がかなりの練度を持つことは明らかだった。だが。
「・・・畜生、まただ」
敵弾は、正確に彗星を捉えていた。300ノットに迫る降下速度にも惑うことなく鼻先で炸裂。爆発が機体を呑み込んだ。直撃を喰らった別の彗星が吹き飛ぶ。最後に残った1機を、大口径の機関砲が撃ち抜いた。小隊は全滅した。もちろん、敵には何の被害もない。
異様な命中精度。そう。異様というべきだった。
高性能の射撃指揮装置を導入し、新開発の高角砲を装備した防空駆逐艦・秋月クラスでさえ、ここまでの戦闘力は持ち合わせていない。驚異的な速度で進化する航空機に対し、火砲と射撃装置の性能が追いついていないのだ。射撃用電探と高角砲を連動させることで命中率を高める手段が研究されているとは聞いたことがあるが・・・・・・。
そこまで考えて、垂井はふと気付く。
そういえば、マーシャル沖では視界の悪い夕刻にもかかわらず、敵は連合艦隊第一戦隊にかなりの精度で長距離射撃を浴びせてきたという。海戦後に得られた情報では、異界からの技術支援を基にそうした電探連動の射撃指揮装置を実用化していたという話だったが―――
―――これも「異界」からの支援なのか?
垂井は唇を噛み締める。異界には、こちらよりも遥かに進んだ技術が存在しているという。マーシャル沖で遊撃部隊が見せ付けた実力。グァムとサイパンでは超兵器同士の激突。武蔵は超兵器に抗うこともできずに沈んでいった。播磨。超兵器。遊撃部隊。圧倒的な戦闘力。こちらの世界では想像することもできないほど飛び抜けた技術。こちらの世界にあってはならない存在。異界兵器。
不意に、怒りがこみ上げてきた。
遊撃部隊は何をしているのだ。敵がこれほどまで支援を受けて戦っているというのに、我々にはたった2隻の護衛艦しか寄越さないとは! 播磨は何をしている。修復中だと。こっちは「決戦」なんだ。この戦いで祖国の命運が決まるというのに・・・・・・何故力を貸してくれないのだ。遊撃部隊は祖国の、帝国の味方ではなかったのか!?
疑問に答える声はなかった。戦闘は熾烈さを増し、爆発が連続する。
「第四小隊、輪形陣を突破! 雷撃隊です!」
歓声が聞こえた。垂井は眼下に目を向ける。
報告は確かだった。魚雷を抱いた雷撃機が3機、弾幕を抜けて敵空母に迫っている。朗報は続いた。
「第六小隊、続きます! 第七小隊残存機、輪形陣外郭を攻撃。敵大型艦、脱落します!」
好機だった。敵輪形陣の外郭を構成する巡洋艦が雷撃を受けて大破。大きく傾斜を始めた。そこへ、急降下爆撃機が襲い掛かる。救援に近付いた駆逐艦を吹き飛ばし、低空から離脱する。思わず少佐は怒鳴っていた。
「突破口が開いたぞ! 全機続け!」
鉄壁の砲火網が破れた瞬間だった。敵艦が脱落したことにより、対空砲火の網に大きな穴が開いている。敵は立ち直れずにいる。この瞬間を逃してはいけない。この恐るべき防御陣を破るには、この一瞬を突くほかにない!
雷撃機が、急降下爆撃機が全速で侵入を図る! その先には、鈍重な大型空母が浮いている。垂井は勝利を確信した。
「もらった!」
異変はそのときに起きた。
3
空が妖しく
瞬
またた
いた。それは不可思議に色を変え、言いようもない圧迫感を放ち出す。
頭が重い。耳鳴りがする。重圧が胸にのしかかる。息苦しい。なんだこれは。何が起きている。
空がきらめいた。紅。いや、青。紫。黄。・・・なんだこれは。わからない。こんな色は見たことがない。どんな色でもない。これを何色だと 断定することはできはしない。こんな色は、あり得ない。あり得ないのに・・・ああ、浮いているのだ。
(浮いている?)
そう。浮いていた。その色は―――その空は、確かに浮いていたのだ。確証はない。だが、それを目にしたとき、確かに彼はそう思ったのだ。そう形容する以外に、彼はこの状況を言い表せる言葉を持たなかった。
閃光が走った。白。あらゆるものを呑み込んでしまいそうな、それは刹那の光。
目を瞬いた。光が消えている。・・・あの閃光は幻だったのか。そんなはずはない。現に自分は、未だに同じ重圧に苦しんでいるではないか。
腹部に力を込める。瞬きを繰り返し、視力の回復に努める。視界が戻ってきた。状況を掴むべく彼は上空を振り仰ぎ・・・絶句した。
それまで黒煙と蒼穹が同居していた空は完全に姿を変えていた。そこは何色とも断言できない妖しげな色に彩られ、時折、紫電が鋭い光を見せていた。そしてその中から・・・・・・これまで見たこともない巨大な怪鳥が飛び出した。
禍々しい赤に染められた長大な主翼。見慣れぬ二つの胴体。その中央部に鎮座する大型の連装砲塔。背後には巨大な吸気口と、噴流発動機。そして至るところに装備された無数の銃塔・・・。少佐はその正体を知っていた。対峙するのはこれが初めてだが、噂には何度も聞いている。ハワイ沖で南雲機動部隊を壊滅させ、今日の戦況をつくり出した憎き翼―――その名は超音速爆撃機!
「アルケオプテリクス!」
轟音が響いた。妖空から飛び出した双胴の怪鳥は、輪形陣に突入を果たしかけていた攻撃隊の群れ、その中心部に突っ込んだ。
爆撃機の銃塔が唸る! 撃ち出された銃弾が攻撃隊を呑み込んだ。雷撃機。爆撃機。区別は一切なかった。突破口に続くはずの攻撃機が目標に迫ることも叶わずに落とされていく。主翼をもぎ取られ、発動機を撃ち抜かれ、タンクに直撃を喰らって四散する。攻撃機を守るべく接近した戦闘機が小隊ごと弾幕に呑まれて消滅した。爆撃機は撃ち続ける。弾丸を。あらゆる空間に、弾丸を!
射撃!射撃!射撃! 殺意の雨が攻撃隊を襲う。それは驟雨。降り注ぐたびに死をもたらす破滅の槍。
「全機退避! 爆撃機から離れろ!」
命令は遅すぎた。怪鳥が攻撃隊の群れから抜けたとき、友軍機の大半が海上に骸を晒していた。
そして―――
「正面、敵巡洋艦!」
彼が振り返った瞬間、配置転換を終えた敵が垂井機を吹き飛ばした。
海面にたゆたう攻撃機の残骸の上を、異形の翼が飛び抜ける。
その目指す先には―――小沢機動部隊がいるはずだった。
4
信号弾が打ち上げられた。赤が2発。その意味を知らされていた藤田一飛曹は、愛機のコクピットでわずかに目を細めた。
視界の隅で、僚機の翼が小さく波を打つ。バンク。藤田は視線を走らせる。空母龍驤・第二戦闘機小隊―――その長機を務める小柳飛曹長の零戦が何かを伝えようとしていた。藤田は思わず苦笑を漏らす。・・・わざわざ翼を揺らさずとも、無線を使えばいいのに。
今回の作戦に当たって、機動部隊直掩隊には性能の良い無線機が渡されていた。帝国海軍のものよりも遥かに感度がよく、長距離でも容易に通話ができるこの装置は、あの大型爆撃機に対抗するための手段のひとつとして遊撃部隊から貸与されたものだった。戦闘機同士だけでなく洋上の母艦とも交信可能なこの装置を用いて、遊撃部隊は直掩隊と共同で超兵器爆撃機を撃墜するつもりのようだ。播磨が台湾沖で身動きが取れず、通常兵器のみであの大型機を墜とすためには帝国海軍の助力も必要だということなのだろう。直接遊撃部隊の者から聞いたわけではないが、藤田はそう考えていた。
このことは帝国にとっても悪い話ではなかった。以前から搭乗員の不評を買っていた国産無線機よりも高性能の無線機を入手できたことで、今後はこの供与品を基にした新型機の開発が進んでいるという。その実用性は、すでに1機の敵偵察機も艦隊に寄せ付けず撃墜するという形で証明されていた。
(もっとも―――)
藤田は機動部隊上空に目を向ける。偵察機の触接を受けていないにもかかわらず、そこには敵の攻撃隊が姿を見せていた。偵察機に発見されたのでないとすれば、これはおそらく潜水艦の仕業だろう。現に何度か、藤田は駆逐艦が艦隊を離れて警戒行動する様子を目にしている。空襲にばかり気を取られている隙に、海中からの手痛い一撃を喰らわなければよいのだが・・・。
敵はいくつかの編隊に分かれて包囲攻撃を試みるところだった。数はそれほど多くない。せいぜい十数機というところか。それ以外の敵機は、全て攻撃に失敗するか撃墜されるかしていた。その原因は直掩隊の奮闘にもあるのだが、それ以上に遊撃部隊の力量に負っていた。
速射砲が、機関砲が、恐るべき命中精度で敵攻撃機を撃ち抜いていく。一方向から集団で攻めようと、分散攻撃を仕掛けようと、その結果は変わることがなかった。艦隊の中心部に存在するたった2隻の護衛艦に、敵はあらゆる攻撃を封じられ、反撃の砲火を浴びて墜ちていく。護衛艦から離れた位置にいる軽空母を狙った攻撃機は、長射程の対空誘導弾で撃墜されていた。現存するどの航空機よりも速い速度で迫るその弾頭から逃げられた敵は、ただの一人もいなかった。
第零遊撃部隊。異なる世界から来た不思議な戦闘集団。
ハワイ沖航空戦のあとに締結された第零遊撃部隊構想―――ゼロ・ノートにもとづいて帝国の味方となった、最強の友軍。
・・・友軍? 彼らは本当に帝国の味方なのだろうか。藤田はときおりそんなことを考える。
構想や異界についての知識は聞きかじった程度でしかなく、上層部といかなる会談がなされたのか知る術はなかったが・・・これまで遊撃部隊と行動を共にしていてどうしてもそのことが疑問に感じられて仕方がなかったのだ。たとえばハワイ沖の遭遇戦。今回のように敵超兵器の動きがあらかじめ読めているのなら、どうしてあのとき機動部隊の救援に来てくれなかったのか。ここにいる護衛艦の1隻でもあの海域に派遣していてくれたなら、あそこまでひどい敗北を喫することはなかっただろう。あの超兵器を撃退するだけでなく、あの場で討ち取ることも可能だったかもしれないのに。
サイパンでもそうだった。大量の奮進弾を浴びせられながらも戦闘能力を残していた播磨は、敵超兵器だけでなく、味方であるはずの武蔵にまで手を掛けた。同じ祖国の艦である遊撃部隊の艦までもがその標的になっていた。最終的に播磨は南雲戦隊の雷撃と、播磨自身の起動装置を停止させることで事態は収束したが・・・・・・何故あのような危険な艦までも戦場に同行させるのか。一歩間違えていれば、壊滅していたのは帝国の方だったのだ。遊撃部隊が米軍の手先ではないかと疑ったこともあったが、それではデュアルクレイターや米戦艦を屠っている事実と辻褄が合わなくなるし、なによりそれだけの装備があるのなら、そもそもそのような面倒なことはせずに力押しで帝国を潰しにかかるだろう。
・・・分からない。遊撃部隊は本当に味方なのだろうか。今ここで米軍を相手に戦っているのも、我々が知ることのない何かの目的のためなのではないかと。藤田にはそう思えてならないのだった。
「タカ1より各機へ。信号弾を確認した。攻撃機は遊撃部隊に任せて、我々はハヤブサ迎撃の準備にかかる。全機続け」
無線機が指令を下す。藤田は思考を止め、長機を見た。
バンクを止めた小柳機が上昇を始める。僚機、佐々木一飛曹の操る機体がそれに続いた。藤田はスロットルを開け、彼らの後を追う。
タカ1とは直掩隊指揮官のことだ。タカは直掩隊、ハヤブサは超兵器爆撃機のことを指す。先に打ち上げられた信号弾は超兵器接近の意味を示す重要なものだ。事前の規定に従い、直掩隊は迎撃のための準備にかかる。多くの友軍機が翼を連ね、高度を上げていく。あの爆撃機に対抗するための『秘策』―――その実現のための準備だった。
僚友がこちらを振り返った。佐々木一飛曹。元翔鶴戦闘機部隊所属。ハワイ沖航空戦で共に超兵器に立ち向かって以来の戦友だった。
その戦友が、静かにうなずいた。言葉はない。だがそれだけで、藤田には彼が何を伝えようとしているか理解できた。うなずきを返して、長を見る。小柳小隊長も、無言でこちらを見ていた。細面の優男だが、大陸戦線帰りのその腕はいささかの衰えも見せていない。彼もまた、ハワイ沖の生き残りだった。あの死闘を経験し、そして生き延びた数少ない熟練搭乗員。この小隊だけでなく、龍驤に所属する戦闘機部隊の大半は、あの航空戦の生存者で固められていた。
それは懲罰。龍驤という、かつての大型空母とは比べ物にならないほど小さく非力な箱に集められた彼らは、艦隊を守れなかった戦闘機搭乗員の烙印を押し付けられた者たち。艦爆、艦攻隊が身を挺して撃退した爆撃機すら撃墜できず、逃げ帰ってきた愚かなパイロット。味方を守ることもできず、死して償う勇気も持たなかった戦闘機乗り。なんと臆病な。なんと哀れな。周囲から向けられる目と浴びせられた罵声の数は、あまりにも多すぎてもう忘れてしまった。
その汚名を晴らすときが来た。同胞から蔑みの目で見られながらも、俺たちは今日まで生き延びてきた。この日を長い間・・・そう、とても長い間、待ち続けた。あの爆撃機を落とすため。この手で復仇を遂げるため。我々はこの日のために生きてきた。
多くの戦友を異国の海に沈めたあの敵を。
我々から名誉を奪い取ったあの敵を。
俺たちは決して許しはしない。
双胴の悪魔。・・・あの血塗られた翼を、この手で、必ず、叩き潰す!
藤田は上空を睨み据える。
その先に望む空が、かすかに赤く霞んで見えた。
第二話 【プロジェクト"Harima"】
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