第一話 【東亜の魔神】
1
海は穏やかだった。波は静かにたゆたい、見目鮮やかな空には雲ひとつ見当たらない。
風防越しに見えるのは、蒼。陽はすでに頂を過ぎ、これから数時間を経た後に西の空へ帰ることだろう。視線を下に転じれば、そこに広がるのは一面の紺碧。無限に続くのではないかとさえ思える海原の中に、いくつかの白い航跡が見えた。
この広大な大洋の中から、数多いとはいえ枝木よりも小さく映る艦影を見つけるのは困難を極める。それ故、海上索敵を生業とするものたちは、鋼鉄の艦そのものよりも、それ自体が生み出す航跡の発見に目を凝らす。変化に乏しい海原の中に見出されたのは・・・・・・無数の艦艇からなる鋼の群れ。大小さまざまな艦影の中に、ひときわ巨大な体躯を見せる艦がいる。それこそが、先のマーシャル沖海戦で失われた大和の姉妹艦―――武蔵だった。
大和級戦艦二番艦・武蔵。6万トンを軽く超える排水量と、その巨大な船体に据えられた9門の46センチ砲は、今もって世界最大の数値を誇る。あの海戦で多数の艦艇を失った帝国海軍にとって、それは残された貴重な戦闘艦。これを超える力をもつ艦は、世界のどこにも存在していない。
―――ただひとつ、超兵器と呼ばれる異界の艦を除いては。
愛機の翼の下に、鋼鉄の艨艟たちの姿が隠れた。思わず機体を傾けて直下を見たい衝動に駆られたが、艦隊防空を受け持つ直掩戦闘機に勝手な真似は許されない。機体を傾けたことが原因で太陽光を反射し、それを敵機に発見されたという話もある。前方を飛ぶ長機に従い、定められた哨戒コースを辿りながら見張りを続ける。
正面に、別の戦闘機小隊が見えた。翼端を切り詰め、速度と急降下性能の向上を図った最新鋭機―――二号零戦。機体名称A6M3。一般には零戦32型と呼ばれている。武蔵の上空を守る、新たな翼というわけだ。
藤田二飛曹は苦笑を浮かべた。あちらは新品、こちらは中古の九六艦戦。海軍上層部の思惑が、そのまま装備の差となって現れている。不憫な話だ。もっとも、聞くところによればあの32型は翼が短くなった影響で航続力が大幅に落ち、おまけに格闘能力も低下・・・・・・現場からの批評は悲惨なものらしいが。
―――それでも、最新鋭機に変わりはないよな。
藤田は龍驤所属の戦闘機搭乗員だ。母艦が第零遊撃部隊に配属されたままであるせいか、整備や補充などは二の次にされている。元々はハワイ沖で空母を沈められて行き場がなくなった搭乗員たちを旧式機ごと遊撃部隊に貸与した艦となっており、口さがない者は「厄介者の吹き溜まり」とさえ評している有様だ。今さらこの状況に異を挟むつもりはないが、それでも何か釈然としないものを感じる。彼らも我々も同じ海軍の搭乗員であるはずなのに・・・。
藤田は嘆息した。ここで考えても仕方のない話だ。自分は一介のパイロットに過ぎない。余計なことは考えず、今は任務に集中すべきだ。
上空は言うに及ばず、海面にも視線を走らせる。戦艦は確かに強大な攻撃力を誇る戦闘艦だが、水中からの攻撃には脆い。静粛性に優れる敵潜水艦の雷撃も警戒すべきだった。
眼前の艦隊は、武蔵を旗艦とした連合艦隊の精鋭部隊だ。マーシャル沖の損傷から立ち直れないでいる艦は参加していないが、稼動主力艦のほとんどがここに集結している。英東洋艦隊の脅威が消えたことから、南方方面で待機していた金剛級までがこの海域に投入されている。通商護衛任務に借り出されている艦を除いた全ての部隊が、ここに集っているような印象さえ受けた。
理由は、ある。
藤田は更に視線を走らせた。この艦隊の傍に、もうひとつの小さな群れが見える。巡洋艦程度の大きさの影が2つ。今年に入って新たに異界から派遣されてきた増援部隊だった。第零遊撃部隊第四戦隊。同第一戦隊の同型艦で構成され、この2隻だけでも戦艦一個戦隊分の戦力に匹敵するといわれている。その実力は、第一戦隊がマーシャル沖で米戦艦部隊を壊滅させたことで証明されている。
姿を確認できたのは、連合艦隊とその2隻で全てだった。藤田は奇妙な違和感を覚える。この海域にあるはずのものが欠けているのだ。事前に聞かされた話では、今回の作戦の要になるべきあの巨大戦艦が同行しているはずなのだ。帝国海軍の大和級戦艦すら上回る規模を持つその艦がいれば、真っ先に目に留まるはずなのだが・・・。
艦隊の前方、側方、そして後方。あらゆる海面に顔を向けて目を凝らしたのだが、一向に見つかる気配がない。やはり、いないのか。
もし本当にいないとするならば、今回もかなりの苦戦を余儀なくされることになるだろう。何しろ、今度の迎撃作戦ではその艦が作戦の鍵となるはずなのだから。
しばらく海面を見つめていた藤田だったが、やがて諦めたように顔を上げた。その額には深い皺が刻まれている。不信の形相を浮かべながら、第零遊撃部隊を睨み付けた。
「どういうつもりだ・・・播磨」
2
夕張の艦橋からも、その光景は不動のものとして捉えられていた。
超兵器戦艦・播磨、本海域には存在せず―――見張りの言葉を聞いて、南雲は落胆した表情を隠せなかった。
「やはり、合流までには間に合いませんでしたか」
憮然とする傍らで飄々と言ってのけたのは、例の少年オペレーター・リンだった。
去年の海戦から一年近くペアを組んできて分かったことがある。このオペレーターは緊迫した局面では真面目な一面を見せることもあるが、普段はあくまで小生意気な少年兵だ。軍属でありながら未だに娑婆っ気が抜けないのは本人の資質によるものらしい。南雲はこれまでに何度か更生を試みたが、実を結んだものはひとつとしてなかった。最近は完全に諦めて何も言わないことにしている。遊撃部隊本隊と意思疎通をはかるという意味ではそれなりに任務をこなせているのだから、軽口に目をつぶる限り実害はないと言ってよかった。
「播磨は本当に来るのだろうな?」
念を押した南雲に対し、リンはあっさりと応じた。
「おそらく決戦までには間に合うはずです。機関の損傷が回復次第、本海域に向かってくる予定ですから」
「おそらくでは困る。播磨抜きでの勝算は零に等しいと言ったのは遊撃部隊の方ではないか」
眦
まなじり
を釣り上げる南雲に、リンは肩をすくめて見せるだけだった。
いい加減そんな態度には慣れていた。リンのことは頭から振り払い、心中でうめく。
―――まさか、あの惨劇がこちらにまで飛び火してくるとは・・・。
スカパ・フロー炎上。
英本国艦隊全滅。
その一報は、世界を震撼させた。
独軍の新兵器か。ただの1発で都市ひとつを消滅させるという新型爆弾の炸裂か。様々な憶測が飛び交った。
真相は、第零遊撃部隊によって知らされた。
欧州戦線に出現した超兵器が、1隻の従属艦を伴ってスカパ・フローを強襲したとのことだった。
スカパ・フローは北海に浮かぶ英国海軍の総拠点であり、本国艦隊の母港でもあった。超兵器はここを襲撃した。湾外で警戒任務に当たっていた駆逐艦が瞬時に消し飛び、停泊していた戦艦は反撃の暇も与えられず撃沈された。船団護衛任務を終えて帰投中だった空母が航空攻撃を仕掛けたが、至近弾ひとつ得られず、逆に長距離対艦兵器の一撃を受けて轟沈。空軍が救援に駆けつけた頃には、敵は北海に脱出したあとだった。
播磨がグァム沖で米揚陸艦隊を叩き潰し、海軍が勝利に酔いしれていた直後のことだった。
当初、帝国はこれを朗報として捉えていた。理由はいくつかある。
まず、被害を受けたのが英国海軍であったこと。攻撃した勢力がどうであれ、敵の戦力が減って損な話ではない。現に、本国艦隊を失った英国海軍は急遽、本土周辺の防備を固める必要に迫られた。戦艦ビスマルクの脅威が去って久しいとはいえ、ドイツ海軍の戦力は未だに侮ることができないほどであるからだ。その結果、インド洋に派遣されていた英東洋艦隊は撤退。地中海に展開していたH部隊共々、本国に帰還することになった。
インド洋から英艦隊が去った今、蘭印の資源地帯を脅かすものは存在しない。太平洋方面の戦艦戦力に不安を覚えていた帝国海軍はただちに南方で待機中の金剛級戦艦を召還した。海軍の中では最古参の部類に入る艦だが、戦艦としては世界でも屈指の高速性能を誇る金剛級は、マーシャル沖で痛手を被った帝国にとって何にも勝る戦力であった。
こうして意外なところから助け舟を出された帝国海軍だったが、恩恵はこれで全てだった。それから一月と経たないうちに凶報が入る。
米太平洋艦隊、内南洋制圧作戦開始。
驚いたのは海軍上層部であった。米軍とてマーシャル沖の被害から完全に立ち直っているとは言い難い。ましてやつい最近グァム沖海戦で戦艦3隻を失ったばかりなのだ。その状態から侵攻作戦を開始するまでには、少なくとも半年はかかるだろうと予想されていた。その間に帝国は体勢を整えることができる。戦艦武蔵をはじめ、商船改造の中型空母や新型防空艦などの配備を進めることができる。
米軍はその期待をあっさりと裏切った。稼動全艦をかき集め、海兵隊2個師団を伴ってマリアナ占領を狙ってきた。上陸部隊に準備を進行させている間に空母機動部隊を用いて内南洋の基地航空隊撃滅作戦を展開。空母レキシントンを海軍陸上攻撃機によって撃沈されるという失態を犯したものの、航空戦力の漸減を成功させた。
スカパ・フロー襲撃によって盟友イギリスが窮地に陥ったことに危機感を覚えた米軍は、日本軍の早期撃破を企図。太平洋側を可及的速やかに沈黙させ、対独戦線に全力を注ぐという戦略を強行したのだった。その尖兵となるのが、超兵器揚陸戦艦デュアルクレイター。昨年の海戦で受けた損傷を早くも復旧させ、日本軍に立ち直る隙を与えず一気に追い込もうというのだった。
この動きに対し、帝国海軍は再び迎撃作戦を発動。戦艦武蔵を基幹として、連合艦隊主力艦の大半を投入。第零遊撃部隊構想「ゼロ・ノート」に従い、本国からの補給を得たばかりの遊撃部隊も同時に出撃した。そして播磨もまた、デュアルクレイターに対抗すべく遊撃部隊の拠点を離れた。
1943年2月。連合艦隊と第零遊撃部隊は洋上で合流を果たし、内南洋を守るべく進撃を開始した。
ただ1隻、途中で機関に異常を来たした播磨を除いて。
3
「第零遊撃部隊は本当に戦う意思があるのか?」
艦橋に響いた声に、武蔵艦長・有馬馨はいい加減うんざりしていた。
「我々が待っていたのは巡洋艦じみたちっぽけな戦闘艦ではない。播磨だ。あの大型戦艦なのだよ、君。それなのに何だあれは。艀か何かか。あんなフネでどうやって米艦隊と渡り合うというのだね?」
「長官・・・播磨の機関が不安定なものであることは先ほど申し上げたとおりです。完全な稼働率を示す兵器が存在しないように、超兵器といえどもその宿命から逃れることはできません」
そのオペレーターの言葉も、長官には届いていないようだった。いや、長官自身が意図的に耳を塞いでいるというべきか・・・。
「それに第四戦隊は艦の規模こそ小さいものですが、その戦闘能力についてはマーシャル沖で実証済みのはずです」
「たった3隻で米戦艦部隊を壊滅させたというあれか。疑わしいことこの上ない。実際の戦果を大幅に水増ししているだけではないのか? ん?」
「・・・・・・」
有馬は重い息を吐く。・・・先ほどから延々とこの調子だ。合流点に播磨がいないと知ってから、連合艦隊を率いるこの司令長官はオペレーターに突っかかってばかりいる。シュウという名の少年兵は忍耐強い若者のようだが、それでもこの執拗な言葉の応酬にはうんざりしているようだった。
有馬は横目で司令の顔を伺う。
栗田健男。海兵38期。階級は中将。今回の迎撃作戦において連合艦隊の指揮を執る、艦隊司令官であるのだが・・・。
「そもそも何故貴様は生きているのだ。海軍軍人たるもの、艦が沈むときには運命を共にするのが筋というものであろう。近藤司令も宮里大佐も大和の艦橋に残ったというのに、貴様だけおめおめと生きて帰るとは・・・・・・貴様それでも軍人か!」
頬を紅潮させて唾を飛ばす栗田に対し、異界の水兵は冷静に返す。
「第零遊撃部隊は人命を尊重しております。どんな状況にあっても、生還の努力を放棄することがないように訓令を受けております。特に実戦を経験した兵は一朝一夕には育てることができないものです。長い年月と少なくない費用を費やして身に着けた技術を簡単に捨てることは許されない―――我が司令はそうおっしゃっておりました。その命に背くような真似はできません」
「貴様、よくもぬけぬけと・・・!」
(まったく、よくも無駄に体力を使う御仁だ)
有馬は再び嘆息した。艦隊司令官の任務は決して暇なものではないはずだ。たとえ艦が戦闘状態になくとも、参謀との打ち合わせや事務書類など、仕上げなければならない仕事は無数にあるはずだ。オペレーターを問い詰めたところで状況が変わるわけでもないのだから、先にやるべき仕事を片付けてしまうべきなのに・・・・・・完全に優先順位を履き違えている。
(本当にこの司令で大丈夫なのだろうか・・・)
栗田は、ハンモックナンバーでこそ優秀な生徒であったとされているが、実戦任務に就いてからの評判は必ずしも良いものばかりではない。それどころか、逆に「前線指揮官として不適格」「実戦向きではない」といった芳しくない評価ばかりなのだ。開戦初期の南方制圧作戦では船団護衛の任務を放棄したという噂もある。
(これが宇垣中将であったなら、これほどまでに不安を感じることはなかったものを)
「黄金仮面」と渾名される宇垣は融通のきかない根っからの大艦巨砲主義者であるが、それだけに砲撃戦となれば卓越した能力を発揮するはずだ。航空屋からは仇敵のように疎まれている存在だが、栗田のように悪評ばかり聞こえる司令官ではない。
近代航空戦を扱うのは不得手かもしれないが、機動部隊はそちらの司令官に任せておけばいい。艦隊全てに「機銃の撃ち方まで命令する」司令官は、逆に手元のミスを誘発するものだ。新設された空母部隊を率いるのは小沢治三郎中将―――海軍きっての知将と謳われるあの司令官であれば、窮地にあってもうまく立ち回ってくれるだろう。
傍らから再び怒号が聞こえてきた。有馬はあえて無視を決め込む。あの雑音は、耳に入れるだけ無駄だった。
戦闘が始まってしまえば、あの御仁もまともに仕事をする気になるだろう。それまでの辛抱だ。
それが間違いであることを、有馬は身を以って知ることになる。
第二話 【我が砲火は衰えず】
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