鋼鉄の咆哮1943 【海を統べるもの】
プロローグ
1942年12月 グァム沖
海が、燃えていた。
黒煙は蒼穹を埋め尽くし、戦闘が始まる前まで存在を主張していた太陽はもう見ることができない。黒の世界。眼前の情景はそう呼ぶにふさわしい。
高々と艦首を突き上げ、波間に姿を消していく敵艦。味方に勝利を引き寄せるはずだった主砲塔が海面下に埋もれ、ついには船体そのものが掻き消える。多くの乗員と共に。
風が吹いた。割れたガラスの間から硝煙が入り込む。戦場の香り。それは今、自分が生き延びていることの証。
砲声はとうに止んでいた。生き延びた敵艦は視界の外に去り、残っているのは逃げる力すら持たない損傷艦。浮力を失った艦は全て海の底だった。今は敵味方を問わず、救助活動という名の、命を救うための戦いが始まっている。
「意外とてこずりましたね」
艦橋から海面を眺める南雲に、まだ年端も行かぬ少年兵が声をかける。「もう少し被害は少ないものかと思っていましたが」
「戦争には相手がいる。こちらの思い通りに戦闘が推移すると思っているのなら、早く認識を改めることだ。戦場ではその油断が命取りになる」
南雲は振り返ることなく答える。
「ご忠告、痛み入ります」
軽く応じて、少年は南雲の脇に立つ。帝国海軍の規格にはない服装と、左腕に「零」の腕章。真新しい海軍帽は、最近支給されたものらしい。第零遊撃部隊第二戦隊司令補佐官、オペレーター・リン。額に残る傷跡は、あのマーシャル沖海戦で受けたものだ。
「コロラド級以下、旧式戦艦3隻を撃沈・・・戦果はまずまずといったところですね」
「現在置かれている状況を考えるならば、望み得る最高の戦果といってもよいだろう。旧式とはいえ、戦艦3隻の喪失は米軍にとっても痛手のはずだ」
開戦以来稀に見る勝利に浮かれる艦隊を見回して、南雲は言った。
数日前、トラック諸島から出撃した米艦隊を、帝国は第零遊撃部隊と共同で迎え撃った。マーシャル沖の痛手からの復旧が遅れている帝国海軍にとっては厳しい戦局だったが、旧式駆逐艦2隻を撃沈されただけで、撃退に成功した。しかし南雲の表情は晴れない。何故なら―――
「もし『あれ』が間に合わなかったら・・・今の米軍の姿は我々のものだったはずだ」
視線を移して、南雲は息をつく。その先に見える巨大な艦影―――名を、播磨という。
ただ一隻で一個艦隊に匹敵する能力を持つと言われる究極の戦闘艦、超兵器。播磨は通常戦艦二個戦隊分の火力を持つ超大型の水上戦闘艦だった。超兵器の動力源となる特殊燃料の不足からマーシャル沖海戦には参加できなかったが、先月末に本国から増援を受け取った第零遊撃部隊は、ついにこれを起動させた。条約時代には世界有数の主力艦艇―――ビッグ・セブンのひとつに数えられたコロラド級戦艦すら一撃で叩き潰した播磨は、グァム島攻略を目指す米上陸艦隊をほとんど無傷で殲滅してのけた。その巨体故に被弾率は低いものではなかったが、重要装甲区画は敵弾を残らず弾き返し、被害はわずかに右舷艦首兵員室損壊という微々たるものであった。
大和以下主要戦艦の大半を失い、稼動戦艦が旧式の金剛級のみという危機的状況にあった帝国海軍は、独力で米艦隊を押し戻す力をなくしていた。仮に播磨がここにいなければ、帝国は脆弱な巡洋艦と駆逐艦だけでこれを迎え撃つことになっていた。本来頼るはずであった内南洋の基地航空隊は、海戦に先立つ米空母部隊との交戦で持てる戦力のほとんどを使い切ってしまっていた。播磨は、本当にぎりぎりのタイミングで間に合ったのだった。
だからこそ、南雲はこの状況を喜べずにいる。帝国は、もはや第零遊撃部隊に助けられなければ勝利もおぼつかないほど衰弱しきってしまっているのか。米戦艦を薙ぎ払うはずだった大和は南洋に没し、かつては世界最強を自負していた空母機動部隊はすでに無い。何故ここまで追い詰められてしまったのか。戦略遂行班が見積もった、開戦から一年までは対等以上に渡り合えるとの目算とはまるで異なり、開戦初日から大打撃を受けてしまったこの現状。なんだこれは。我々は世界第三の実力を持つとさえ謳われてきたというのにこの体たらく。何故こうなってしまったのだ。
解答はいまさら分かりきっているものだった。今までに幾度となく繰り返してきた自問。変えることもできない自答。ハワイ沖の雪辱以来、一日として考えないときはなかった。頭から離れない日はなかった。超兵器。ここにあるはずのない艦。異なる世界から来た強大な敵。異界兵器!
あの航空戦の後、南雲は全てを失った。これまで積み重ねてきた功績。名誉。栄光。帝国海軍が誇った大型空母群と共に、それは太平洋の果てに沈んでいる。南雲は機動部隊司令官の座を追われた。ハワイ作戦を実行に移した山本五十六も、連合艦隊の長を降りることになった。温情措置によって前線に立つことは許されたものの、与えられたのは旧式艦ばかりの小艦艇。名目こそ、異界から来た艦隊との連携というものだったが、実態は彼らの監視以外の何物でもなく、万一遊撃部隊が裏切った際には真っ先に血祭りにあげられる囮部隊そのものであった。「異界の連中が本当に友軍なのかどうか試す実験隊だった」とは、漏れ伝わる噂から聞いたものだ。
南雲は反論することができなかった。開戦前から膨大な費用と時間を割いて培われた機動部隊を壊滅させ、帝国を窮地に立たせたのは他ならぬ南雲自身だった。あのような異界兵器の介入など誰にも予想することはできなかったし、ましてや勝利を収めるなど不可能であったと反論することはできようが・・・・・・弁解したところで現状が好転するわけでもない。誰が指揮を執ろうとあの結末に変わりはないのであろうが、それでも、現場にいた者の一人として、こう思わざるを得ないのだ。
―――他に対処法があったのではないか。適切な手法を以ってすれば、せめて第二撃で沈められた加賀や霧島は救えたのではないか。ここまで戦況を悪化させる原因にはならなかったのではないかと。
現実は非情だった。異界兵器の助力を得た米軍は中部太平洋を制し、今や内南洋一帯を押さえようとしている。南雲は汚名を晴らすこともできず、こうして遊撃部隊第二戦隊にしがみついている。
自分はいつまでここにいられるのだろう。マーシャル沖で一個水雷戦隊を率いておきながら、敵超兵器に一矢報いることも叶わなかった敗将。いつ左遷されてもおかしくはない。それでもこうしていられるのは、自分が超兵器と矛を交え、生き延びている数少ない提督だからという理由に過ぎまい。自分にはもはや前線で戦う資格など残されてはいないのではないか。南雲はそう思うのだ。
「そうですね。確かに危ないところでした」
オペレーターの言葉に、南雲の思考が途切れる。「播磨といえど、欠点がないわけではありませんから」
南雲は意識を引き戻した。あの超兵器にも弱点があるというのか。
南雲の視線に気付いて、リンは表情を引き締めた。
「子細は軍機ですから詳しいことは話せませんが・・・播磨とて人が造ったものです。完全に無敵の兵器などありえません」
南雲の相貌が険しさを増す。これはもしかすると・・・・・・とてつもなく貴重な情報が得られるかもしれない。意識を集中させる。
「超兵器は無敵の兵器だと思っていたが・・・」
「とんでもない。もしそんなものであったら、我々は彼らを相手にしようなどとは考えもしなかったはずです。―――もっとも、超兵器を生み出したのは我々自身なのですがね」
「なんだと?」
南雲の目が見開かれる。超兵器を生み出したのは、他ならぬ第零遊撃部隊だというのか。それはいったい・・・。
「今の言葉は忘れてください」リンは肩をすくめる。
「とにかく、超兵器を破壊することは不可能ではないということです。現に我々は、すでにいくつかの超兵器を葬り去ってきました。中には水中を60ノット以上で走る化け物のような潜水艦もいましたね」
「水中を60ノット以上・・・」
「こちらの世界では想像することもできないでしょう。しかし私たちの世界では、そうした超兵器と幾度も刃を交えています。今この瞬間にも、本国の部隊が戦場を駆けていることでしょう。相手の弱点を巧妙に突きながら、ね」
こちらの世界ではありえない事象、それが向こうの世界では常識であるのか。真偽を確かめることはできないが、それでも南雲は祖国の上層部のように、それを絵空事として片付けることはできなかった。ハワイとマーシャル―――二度の戦いで彼らと刃を交えてきたのは、まぎれもない彼自身なのだから。
「しかしそれでも、播磨の欠点は常識の範疇を超えています」
不意に響いた音階に、南雲は思わず息を呑んだ。傍らに立つ若者の表情は・・・恐怖?
「あれは欠点などというものではありません。今回は幸いにも『発症』せずに済みましたが・・・被弾の衝撃でそれが起きたこともありました。あんなものに頼ってまで、我々は戦わなければならないのです」
リンはかろうじて自制を保っているようだった。それほど恐ろしいもの。欠点。なんだ?
「これ以上はお教えすることができません。ナギ司令にも止められておりますので」
南雲は力を抜いた。事態を打開する方法が見つかるかもしれないと思ったが、どうやら甘かったようだ。さすがの遊撃部隊も、自軍の弱点にも関わる内容を晒すつもりはないらしい。
「ですが、これだけは言えます。もし『あれ』が起きたとき、我々はおそらく生きて祖国に帰ることはないでしょう。・・・絶対に」
再び相貌が険しさを増す。播磨が白波を蹴立てている。不吉な予感めいたものを、南雲は振り払うことができないでいた。
第一話 【東亜の魔神】
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