鋼鉄の咆哮1942 【太平洋の劫火】
プロローグ
1941年12月18日 四国沖
波は低かった。天候は明朗。頭上高く掲げられた太陽は、冬の中にもやわらかい暖かさを与えていた。
空は澄み渡り、光を遮る雲ひとつ見当たらない。視界は広く冴え渡り、遠方に四国の島影を望むことも不可能ではない。季節が春ならば、祖国の風物詩ともいえる桜の色を眺めることもできたであろう。
戦艦大和の航海艦橋から見えるのは、そんな風景だった。
「絶好の試験日和ですね」
帝国海軍最大の戦艦を統べる宮里
秀徳
ひでのり
大佐はご機嫌だった。5年もの歳月をかけて建造された浮かべる城を我が手で操る。海軍軍人としてこれに勝る喜びが他にあろうか。しかもこの大和は昭和16年12月16日・・・・・・すなわち、一昨日竣工したばかりの最新鋭艦。15万馬力もの大出力を叩き出す機関も快調そのもの。彼が仏頂面で塞ぎ込む理由は何ひとつ存在しなかった。
「まるで天までもがこの艦の完成を喜んでいるようです。そう思いませんか、長官」
「・・・・・・そうかもしれんな」
返答は実にそっけないものであった。長官と呼ばれた人物は、通称「お猿の腰掛」と呼ばれる長官席に腰を下ろしたまま眉間に皺を寄せていた。謳うような返事を期待していた宮里は冷水を浴びせられた気分になる。
(せっかくの新鋭艦の試験航海だというのに・・・)
長官が不機嫌になる理由は知っていた。海軍上層部は様々な表現を用いてその失態を和らげようとしていたが、その被害の大きさが彼らの努力を半ば無意味なものに変えていた。
真珠湾攻撃艦隊、壊滅。
空母4隻一挙喪失。戦艦霧島、大破後自沈。
帝国の命運を賭けた奇襲作戦の失敗・・・それも、完全な大敗を喫したという凶報は、開戦翌日の内には軍上層部全てに知れ渡ることとなった。元々博打性が高いといわれていたこの作戦だが、まさしくその通りになってしまったというわけだった。立案者である山本五十六大将―――そう、ここにおわす気落ちした長官その人だ―――は責任を問われ、近いうちに南雲中将と共に査問会にかけられることが決定しているという。すぐにでも連合艦隊司令長官の座を追われなかったのは、単に南方資源地帯制圧作戦が継続中であり、次席司令官と目されている将官たちが不在であるからに過ぎない。そちらの戦況が一段落すれば、すぐにでもその椅子から引き摺り下ろされるに違いなかった。
開戦劈頭に米太平洋艦隊の根拠地である真珠湾軍港を奇襲、米主力艦を殲滅するという目論みは、そっくりそのまま攻撃側に返されたというわけであった。しかも、攻撃目標である米主力艦には一切手を触れることができなかったという。この攻撃によって日米の戦力比を大幅に縮める計画は、最悪の結果となって跳ね返されたのだ。そしてその成果は米軍にも知れ渡るところとなり・・・・・・彼らは太平洋に侵攻する準備を進めているという。
対米6割の戦力しか保有できなかった帝国海軍にとって、真珠湾作戦は劣勢を覆す唯一の策だった。それが失敗し、機動部隊が実質的に壊滅した今、帝国を守る者は戦艦部隊しかいない。そのためにも大和の訓練を一刻も早く完了させ、第一線任務に就けるようにしなくてはならない。残された時間は決して多いものではないのだ。戦いはすでに始まっていた。そう、時間との戦いが。
「これより全力過負荷運転に入ります。よろしいですか」
「ああ・・・任せたよ」
力のない反応。機動部隊を失ったことで、長官は戦意までなくしてしまったのだろうか・・・。
宮里は首を振った。今は考えるときではない。まずは成すべきことを成さねば。
「後続艦に伝達。状況開始!」
「了解。後続艦に伝達。状況開始!」
大和は動き始めた。排水量6万トンを超える鋼鉄の塊を走らせるべくボイラーが高熱を噴き上げ、蒸気タービンが駆動する。異変に気付いたのは、機関がまもなく全力過負荷運転に入ろうとした頃であった。
「・・・?」
宮里は周囲を見回した。何かがおかしい。
同じ感覚は周辺の者にも伝わっているようだった。艦橋に立つあらゆる人間が、眉をひそめて辺りを見ている。しかし異常はない。艦は正常に航行しているし、機関の不調を窺わせるような音も聞こえない。命令を下す前と何ひとつ変わったことなどない。そのはずだ。そうでなければならない。それなのに―――
(何だ、この違和感は・・・?)
違和感。そうとしか言いようがないほどの、それは小さな変化だったのだろう。後にして思えば、それはいわゆる「予兆」という奴だったのかもしれない。そしてそれは、「現実」へと干渉を開始した。
艦橋に据え付けてある計器類が異音を発した。割れた。時計が凄まじい勢いで巻き戻り、艦内のあらゆる計器類が誤動作を始める。艦が大きく揺れた。突風が吹き荒れた。強化ガラスが悲鳴をあげる。荒波が船体を打ちつけた。揺れている。この大和が。世界最大の戦艦が!
「何だこれは。何が起きている!?」
悲鳴に応えたのは悲鳴だった。
「正面に異様な光を確認!」
「なんだと!?」
振り返る暇もなかった。次の瞬間、戦艦大和は白光に包まれた。
・・・どれぐらいの時間が経っただろう。宮里は大和が光の中から抜け出していることに気が付いた。艦橋の中を見回す。すでに異変は収まっていた。艦橋要員たちも気を取り戻したようだ。呆然とした顔つきで辺りを確認している。光に呑まれた以外に変わったことはないようだった。足元から伝わる機関の鼓動は安定していた。
(今のは一体・・・)
疑問は言葉にならなかった。大和の艦橋に大きな影がさした。振り返る。宮里は今度こそ絶句した。
影の正体は、巨大な艦橋構造物だった。それも、大和より遥かに大型の塔型艦橋。その周辺には無数の銃砲が乱立している。
影の位置は時間が経ってもほとんど変わらなかった。つまり、この艦と並走しているということだ。全力過負荷で疾走しているこの大和と。
(な・・・なんだこいつは)
懐疑はすぐに晴れた。相手は徐々に増速したらしく、大和を抜き去って前方に出た。誰もが唖然とするものの正体が、そこで明らかとなった。
宮里が先ほど見た艦橋構造物。その後ろに並ぶのは大きな煙突、後部艦橋、そして数多の機銃座と・・・大口径の艦砲を搭載した3連装砲塔。何より、それらの積載物を支えるふたつの船体。
見紛うはずもなかった。それはまさしく戦うために造られた浮かべる水城―――戦艦だった。
「あれはまさか・・・本当に存在したのか」
つぶやきを口にしたのは、山本五十六だった。長官席から立ち上がり、食い入るように前方を見つめている。宮里はそこに畏怖と驚嘆の色があることに気が付いた。そして確かに聞いた。それはささやき声に近く、とても正確に聞き取れるような言葉ではなかったが、確かに彼はこう言ったのだ。
「超兵器」と。
第一話 【不動の巨神】
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