鋼鉄の咆哮1941 【真珠湾の赤い翼】
エピローグ1941年12月30日 日本本土
大晦日を翌日に控えたこの日、内地は静かに年越しの準備を進めていた。提灯行列が通りを埋め尽くすこともなく、粛々と、ただ沈黙のうちに昭和16年というときを終えようとしている。静か・・・というよりも、むしろ打ちひしがれたような雰囲気が街を覆っているのは気のせいではないのだろう。
窓から見える街並みは活気をどこかに忘れてきたようにさえ思えるほどで・・・その原因が自分にあることは彼にも分かっていた。帝国の命運をかけた乾坤一擲の大作戦―――それが失敗に終わったことで、民衆はかくも落胆してしまったというわけだった。
―――だが。
彼は思う。あの異様な大型爆撃機との遭遇戦など誰が予想し得ただろう。金剛級戦艦まで単独で撃破するような兵器との戦闘など、誰が指揮をとっても同じ結果にしかならなかったのではないか。今回は幸いにして空母4隻・戦艦1隻の喪失で済んだが、下手をすれば艦隊が消滅していてもおかしくはなかった。いや、むしろ本来はそちらの結果の方が現実に即しているのではないか。そうならなかったのは、直掩隊の決死の制空戦闘と、村田重治、高橋嚇一両少佐の尊い犠牲があったからに他ならない。彼らは直掩網が突破されたと見るや、搭乗機であの巨大爆撃機に挑み、身を挺して艦隊を全滅から救った英雄だった。各機体の搭乗員には栄誉と、その遺族にはいくばくかの慰労金が支払われた。
方や、彼の評価は散々なものだった。いわく、
「たった1機の爆撃機に翻弄された老提督」
「海軍の至宝を奪われながらおめおめと逃げ帰ってきた敗将」
「反撃もかなわなかった弱腰長官」・・・・・・
彼とてその事実から目を背けるつもりは毛頭ない。ただ、戦場という現場にいたこともなく、安全な後方からただ罵声を浴びせるだけの連中には腸から沸き上がる何かを抑えることはできなかった。
お前たちに何が分かる。あの弾幕の中を生き延び、せめて残った将兵たちだけでも生還させようと努めた俺の気持ち、貴様らなどに分かりはしまい。
反撃もかなわなかった?追撃していればせめてあの爆撃機を落とすことはできたはず、だと?
そんな余力などどこにもありはしなかったのだ。周辺には空母エンタープライズの他、ミッドウェイから輸送任務を終えて真珠湾に向かっていたレキシントン、ハワイの航空隊、そしてどこに潜んでいるか分からない潜水艦・・・。あのまま追撃を続行していれば、間違いなく艦隊は消滅していた。任務中止はギリギリのタイミングだった。そして俺たちは生還した。あの地獄の砲火網から。それを賞賛こそすれ、責める権利は誰にもありはしないだろう。あの戦いで命を落とした英霊たちを除いては。
「・・・督。提督」
自分を呼ぶ声に気付いたのは、やり場のない怒りをどうにか押し沈めたときだった。
「準備ができたそうです。お入りください」
従兵の言葉に、帝国海軍中将―――南雲忠一はうなずいた。
会議室に通じる扉を自ら開き、足を踏み入れる。そこには、数少ない彼の理解者がいるはずだった。
「ようこそ、中将」
部屋から招きの声を上げたのは、誰あろう、連合艦隊司令長官・山本五十六大将であった。会議用の長机の奥に鎮座し、彼に席を勧める。南雲はひとつ頭を垂れてから椅子に腰を降ろした。
会議のメンバーは彼を含めて数人。軍令部総長・永野修身をはじめ、いずれも海軍を取り仕切る要員ばかりだった。ただ一人、見たこともない軍服に身を包んだ女性を除いては。
「戦闘後の事務処理に追われているところをすまなかったな」
山本の言葉に南雲は生返事を返すだけだった。視線は連合艦隊を指揮する長ではなく、その傍らに立つ謎の女性に注がれていた。
欧州風の軍帽からこぼれる黒髪は短くまとめ、襟には帝国の規格にはない階級章が飾られている。左の腕にはなんとも形容のつかない不思議な腕章をしていた。世界のどこの国でも採用していないであろうデザインだった。
南雲が彼女の正体をつかみかねていると、視線に気付いた山本が助け舟を出した。
「そう警戒しなくてもいい。彼女は帝国の敵ではない」
奇妙な言い方だった。帝国の敵ではない・・・しかし味方だとも言い切れない。そんな人物が、どうしてこんな会議に同席しているのか。混乱は増すばかりだった。
「俺も実はまだ完全には事態を理解できていないんだ。そこで君にも同席してもらうことにした。何しろ君は、超兵器と初めてやいばを交わした帝国の数少ない提督だからね」
山本はそう言って、隣の女性に言葉を求めた。彼女は一同に黙礼をかけたあと、その口を開いた。
「初めまして、提督。第零遊撃部隊構想『ゼロ・ノート』提唱者のナギです」
数日後。幸運にも内地に生還して自宅で英気を養う藤田二飛曹のもとに、一通の指令書が届けられた。軍令部要員から直接手渡されたその書類には、奇妙な印が押されてあった。
発:第零遊撃部隊
第二章に続く
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