第三話 【反撃のやいば】






 雲海。空を黒灰色で覆い尽くした雨雲は、次第にその勢力を弱めていった。正午に近付くに従って晴れ間が広まり、視界を向上させるのに一役買っていた。

 藤田二飛曹は、愛機のコクピットから見張りを続けていた。数少ない直掩隊の一部隊に加えられた彼の機は、臨時に翔鶴の戦闘機部隊と編隊を組まされて大空にあった。彼以外の瑞鶴戦闘機部隊は全滅だった。いや、壊滅したのは瑞鶴搭載機だけではなかった。いまや艦隊旗艦となった加賀、僚艦翔鶴共にその航空戦力をすり潰してしまっている。先の大型爆撃機による襲撃は、空母のみならず母艦航空隊にまで甚大な被害をもたらしたのであった。

 炎上した3隻の空母はすでに沈没するか、友軍駆逐艦の雷撃で処分されている。赤城、蒼龍、飛龍・・・いずれも搭載機数50機を超える正規空母。開戦にあたっては米太平洋艦隊を壊滅させる極秘任務の一端を背負った身。荒れ狂う氷海を共に越えてきた頼もしき戦友は、あっけなくハワイ沖に姿を消した。
 藤田二飛曹はそれが信じられなかった。つい数時間前までは無敵を誇っていた機動部隊が、いまや半数に撃ち減らされている。強大な火力を有する超大型の爆撃機とはいえ、たった1機だけで一個艦隊を半壊させるとは・・・。そして自分は、その恐ろしい相手と矛を交え、まがりなりにも生還した搭乗員なのだ。それが僥倖に過ぎない結果だというのはよく分かっていた。

 そのことを認識したとき、彼は改めて己の幸運さを理解した。敵巨大爆撃機は1機で一個艦隊にも匹敵する戦力の持ち主なのだ。帝国海軍が誇る最新鋭戦闘機を駆っていたとはいえ、たかだか30機程度でその進撃を止められるはずがなかったのだ。
 そして今、この傷付いた艦隊を守るための直掩機の数は更に減少している。ありったけの稼動機をかき集めてきたとはいえ、その数は半数近くにまで衰退している。30機の戦闘機でも止められなかったあの爆撃機を、今度はその半分の戦力で撃退しなければならない。すでに拡散したはずの暗雲が立ち込めるような錯覚を、彼は抑えることができなかった。


 ふいに前方を飛ぶ機体が翼を翻した。高橋・飯田両名に代わる新たなペア。翔鶴戦闘機隊所属の佐々木一飛曹だった。今回の直掩任務では藤田と彼で一個分隊を形成し、防空にあたることとなっている。変則的な配置だが、もはや贅沢をいえるほどの余力は艦隊にはなかったのだ。
 僚機は翼を揺らしながら、藤田になにかを伝えようとしている。無線機は調子が悪く、空戦の際に重りにしかならないということで降ろしてあった。
 彼らのほか、艦隊防空に当たる直掩隊に課せられた任務はしごく簡単なものだった。すなわち、

「来る第二波攻撃を阻止するため、稼動全機を以って艦隊防空任務を遂行せよ」

 また、この時点では艦隊は電探など装備していなかったが、空襲の被害を少しでも少なくするために直掩隊を含む全機に全周囲警戒を命じていた。つまり、直掩機をいくつかの編隊に分けて艦隊の全周囲に前進索敵をさせ、敵機の早期発見に努めるというものであった。そのために艦隊は、本来空戦には不向きな艦爆や艦攻までこの任務に投入していた。特に彼らは制空隊よりも先行し、敵機発見の暁には無線と信号弾の両手段を用いて前進索敵に当たることとされていた。
 その信号弾を、思考にふけっていた藤田はうっかり見逃してしまったらしい。直掩戦闘機を駆る搭乗員としては許されざる失態だった。スロットルを開け、僚機の後を追う。

 そして彼は見た。艦隊目掛けてまっすぐに接近してくる、あの大型爆撃機の姿を。
 彼は唇を舐めた。今度こそやらせはしない。死んでいった戦友の仇をとるためにも、これ以上お前の好き勝手にさせはしない。
 世界最強の空母機動部隊―――その一翼を担う戦闘機乗りの意地を見せてやろう。



「来い、双胴の悪魔。俺達の空から叩き落してやる!」







 巨人爆撃機は猛速で突っ込んできた。相対速度は優に500ノットを超えているだろう。時速1000キロ近い亜音速の航過戦。十数機が群れをなす戦闘機の網の中に、敵は恐れもなく飛び込んできた。艦攻から再び信号弾が打ち上げられる。赤。その意味するところは全機同時飽和攻撃。この空域に待機する全ての戦闘機が、ほぼ同時に敵機に攻撃を仕掛けることになる。狙いは敵防護火力の分散。先刻は各小隊がバラバラに突入したため各個撃破されてしまったが、同じ轍は二度と踏まない。2個中隊規模の襲撃を受けても無事でいられるかどうか、その体で試してやる。

 あの巨体が再び近付いてくる。あまりの大きさに距離感が狂いがちになりそうになるが、奴を航空機ではなく空飛ぶ戦艦だと思うことで修正をはかる。それは僚機も同じようで、なかなか襲撃のタイミングを捉えられないらしい。しかし敵はこちらよりも優速。攻撃の機会は一度きりしかない。搭乗員の判断の迷いが、そのまま機動になって現われていた。敵の進撃路を塞ぐように展開した友軍戦闘機も攻めあぐねた。
 そこへ、奔流が浴びせられた。旋回機銃の命中率は固定機銃に比べて大きく劣るといわれているが、この大空の魔人にそんな常識は通用しなかった。幾千もの火箭が直掩隊を呑み込んだ。弾着は恐ろしく正確だった。不運な機体が槍ぶすまに突き刺されて落下する。

 それが合図となった。迷いを捨て、全機が巨大爆撃機に向けて鎌首をもたげる。突撃。翼が風を裂いた。あらゆる空間から戦闘機が迫る。敵の巨体を押し包むかのような包囲攻撃。炎の壁を切り裂いて、友軍戦闘機が突っかけた。
 爆撃機は無数の弾幕を張り巡らせて出迎える。また何人かの戦友が還らぬ人となった。藤田もその弾幕の中に飛び込んだ。

 密度はすさまじいものだった。少しでも進撃路をはずれれば、そこには光の濁流が待ち構えていた。呑み込まれて助かる術はない。
 僚機―――佐々木一飛曹は流れの薄い道を辿りながら迫っていく。藤田二飛曹も彼に続く。

 今では爆撃機の銃座の配置まではっきりと見分けられた。双胴形式の胴体に多数の大型銃塔が確認できた。1、2、3・・・機体上面部に10基以上の機銃。上面だけでこれだけの重武装・・・まさしく空の戦艦と呼ぶべきだった。
 だがそれよりも目を引いたのは、ふたつの胴体を結ぶ接合部の中央―――そこに鎮座する大型の連装砲塔だった。下手をすると戦艦並みの大口径砲が2基、背負い式に配置されている。黎明時に空母3隻を葬り去ったときは機体下面からも砲弾が吐き出されていたから、少なくとも4基以上の砲塔がこの爆撃機には装備されていることになる。

―――なんて非常識な航空機だ。

 しかも敵巨人機にはプロペラが見当たらなかった。噂に聞く噴流機関を用いた新型動力機。これが、戦闘機よりも速い速度を実現させる原動機なのか。

―――かまうものか。どんな敵であれ、墜ちない航空機なんてものは存在しない!

 僚機がついに射撃を開始した。機首と翼端から大小の異なる弾丸が撃ち放たれる。藤田も発射把柄を握った。全門斉射。20ミリ・7.7ミリの各機銃が咆哮する!他の友軍戦闘機からも閃弾が伸びる。20門を超える機銃が牙を剥いた。これが、これまで防御に徹することを強いられてきた機動部隊の反撃のやいばとなるのだ!





 敵巨大爆撃機に襲い掛かる直掩隊の勇姿は、沈痛に沈んでいた将兵たちの士気を爆発的に高めた。艦隊中に歓声がこだまし、加賀の戦闘艦橋がうち震えた。
 友軍機が1機、また1機と翼を翻す。爆撃機を銃撃した戦闘機が、敵の防御射撃から逃れている。そのうちの何機かは確実に命中弾を得られたようだった。反撃のやいばが敵を捉えた。直掩隊は復讐の一太刀を浴びせることに成功したのだ。将兵たちの叫びはとどまるところを知らない。

「これなら撃墜できるかもしれません!」

 参謀の一人が言った。超兵器とて無敵の存在ではない。我々の力でも充分に対抗できるのだ。そうした想いが言葉の端々に込められていた。しかし・・・・・・

「敵大型爆撃機、なおも接近!」

 見張りの言葉が希望的観測を打ち砕いた。戦闘機2個中隊分の火力を浴びせられながら、敵は速度を落とすこともなく艦隊に迫りつつあった。見張りが測敵を続ける。高度3000、距離1万2000!

「全艦、対空射撃開始。全兵装使用自由」

 南雲の命が艦隊に飛ぶ。あらゆる艦の対空装備が天を睨んだ。駆逐艦が空母の周囲を固め、巡洋艦・戦艦が前面に立ちはだかる。敵は高速で距離を詰めてくる。距離1万!

 艦隊前衛を固める巡洋艦が射撃を開始した。続いて戦艦。そして全ての艦艇が持てる火力を総動員し、燃える投網を空中に被せる。殺意の火花が咲いた。測距は完璧だった。敵は火中に突っ込んだ。これだけの砲火を浴びて生き残れる航空機などこの世にありはしない。敵巨人爆撃機は燃料タンクを撃ち抜かれ、翼をへし折られて四散する!

 現実は希望を退けた。爆煙の中から敵機が飛び出した。無傷。致命傷どころか、大した打撃にもなっていないようだった。

「そんな馬鹿な!」

 参謀の悲鳴が響いた。爆撃機から閃光が走った。3空母を消し飛ばした大口径砲弾が再び奔流となって押し寄せた。幾条もの魔弾が前衛部隊を叩き潰す!轟音。爆撃機は非情だった。更なる砲火。機体の下面から断続的に弾丸が吐き出される。大口径砲弾ではない。しかし戦車砲並の弾丸が数千発、わずかな時間に撃ち込まれる。前衛部隊の姿は水煙と炎の中に消えた。爆撃機は彼らに目もくれず、こちらに高速で迫り来る。

「長官、退避を!」

 そんな暇もなかった。加賀は地獄の火箭に捉えられた。




「加賀が・・・!」

 悲鳴をあげたときには、旗艦は見えなくなっていた。正確には、爆発の光の中に取り込まれていた。
 敵大型爆撃機は前衛部隊と加賀を屠り、艦隊後方に抜け出した。直掩隊と艦隊の防御砲火を浴びてなお、あれだけの戦闘力を維持できるとは・・・。

「なんて奴だ」

 悪態をついたところで状況が改善されるわけでもなかった。敵はあのときと同じようにロールを打ち、戦果を拡大しようと企んでいる。
 あのときは赤城に続いて蒼龍・飛龍がやられた。次に狙われるのは瑞鶴と翔鶴。彼のいる五航戦だった。

「今度こそ止めてやる!」

 諦めるつもりはなかった。残る友軍戦闘機と共に艦隊上空をフライパス。艦隊と敵との間に直掩ラインを形成する。上空を通過した際に傾斜した友軍戦艦を見たような気がしたが、確認する暇はなかった。これまで遠くから戦闘を望遠していた前進索敵隊も駆けつけ、部隊は一気に勢力を増す。

 空戦能力に劣る艦爆・艦攻だったが、彼らとて母艦が撃沈されたならばもはや還る艦がない。非力ながらも戦闘機と共に爆撃機を阻止する賭けに出たようだ。どちらも武装は7.7ミリ機銃をわずかに搭載しているだけだが、闘志だけは不足していないらしい。懸命に重い機体を走らせ、戦闘機に同調しようと躍起になっている。戦闘の中にも若干のほほえましさを感じ、藤田は頬をほころばせた。

 そうだ。ついて来い。俺もお前らも機動部隊を構成する一員であることに変わりはない。あの小癪な爆撃機を追い払って、内地に生還しよう。

 大型爆撃機が旋回を終えた。小うるさい蝿を無視するかのように、一直線に五航戦を目指している。艦攻隊も旋回を終え、爆撃機と同航する姿勢をとった。そのまま高度を下げる。艦爆隊もそれに続く。十数機から成る艦爆・艦攻隊。彼らは敵が優速なのを利用して、同航戦による旋回機銃の弾幕を張るつもりのようだ。
 対する戦闘機部隊は先刻と同様の反航戦を挑む。戦闘中では細かな打ち合わせを必要とする機動戦術は構築できない。飛行前のブリーフィングに従って動くよりなかった。おそらく艦爆・艦攻隊の連中は、敵機が迫ったあとはこうするつもりでいたのではないか。でなければ、あんなに綺麗な集合隊形が取れるわけがなかった。そして彼らは、土壇場でそれを実現できる技量の持ち主でもあった。

 ・・・全ては真珠湾作戦のために。我らは世界最強の機動部隊。たかだか1機の爆撃機に負けてたまるか。


 驟雨が撃ち上げられた。多くの戦友を冥界に送り込んだ悪魔の弾丸。衰えることのない火力をばらまきながら、敵機は機動部隊に接近する。
 全機、突撃!
 無線は搭載していなかったが、タイミングは完全に理解していた。生き残った全ての友軍戦闘機が最後の突撃をかける。これが本当に最後の機会だった。ここで止められなければ五航戦は壊滅し、全ての空母を失った航空隊に還る場所はない。生還のための戦い。そう、俺たちは生きて帰るのだ。

 被弾はそのときだった。




 直掩隊は突破された。藤田機の撃墜をはじめとして、多くの機体が防御砲火に阻まれた。かろうじて銃撃に成功した戦闘機も、爆撃機に致命傷を与えることはできなかった。敵巨人機は直掩網を突き破り、五航戦に差し迫った。艦爆・艦攻隊の目論見はほとんど効果をあげなかった。高角砲の弾幕射撃にも耐え抜いた大型機が、小口径の機銃で止められるはずがなかった。機動部隊の壊滅は目前だった。

 異変はそのときに起きた。1機の艦攻がふいに機首を上げたかと思うと、そのまま爆撃機に突っ込んだのだ。敵は艦攻を避けようとしたが、その巨体が仇となって回避できなかった。腹下に3トンもの質量を叩き込まれた巨人機はそれまでの勢いを喪失した。中央の発動機にめり込んだ艦攻の機首は機能を停止し・・・そこへもう1機が突入した。今度は艦爆だった。これがとどめとなった。
 推力減少に加えて更に打撃を喰らわされた大型爆撃機は戦闘能力を失い、どうにか飛行できる巨大な鉄塊となった。あの大型砲が火を吹くこともなく、弾幕射撃が空母を襲うこともなかった。敵機は襲撃を断念し、五航戦は被弾を免れた。逃走を図る敵機を直掩隊が追撃したが、その状態にあっても敵の方が優速であり、撃墜することはかなわなかった。







艦隊は全滅を免れた。

多くの艦艇と航空機、そして戦友を失いながらも、ここに生還のための戦いに勝利を得たのだった。
この後、彼らは周辺海域を航行していた米空母エンタープライズの追撃を受けたものの、
大きな損害を出すことなく撃退に成功。本土に帰還することになる。













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