北山の山小屋(京都市北区)
北山については著者と著者の父の話があるのだが、まず私の父の体験談から聞いてもらおう。
ある夏の日、京都の北にある北山に登山に行った。京阪出町柳駅から雲ヶ畑行きのバスに乗り、出合い橋と言う
停留所で降りる。そこからエイエン、山を登っていく。そこは谷をとおり頂上へ向うルートなのだが、一つ目の山小屋を
その晩の宿と決めていた。山小屋は頂上に向う道に3つある。
一つ目の山小屋に着いたのはもう辺りは暗くなり始めていた頃だった。山小屋と言っても京都の某大学の登山部が
作ったもので中ぐらいの丸太で組んだ2つに区切られた部屋のある質素な小屋である。とりあえず、飯盒で飯を炊き缶詰などを開け簡単な晩御飯を済ました。一人の女性が外に出て川で洗い物をしていた時、小屋にいた父の耳に
悲鳴が聞こえてきた。「どうしたッ!」慌てて外に出ると川の向こうに握り拳よりも2周りほどの小さい火の玉
(と、しか見えなっかった言う)が横に8の字を書いてフラフラと飛んでいたのだ!やがてそれは小さく小さくなって
消えてしまった。口々にあれは火の玉か?いや蛍か?その正体は分からず仕舞だった。
次の朝、7時頃に起きた一行は朝ごはんのすばやく食べ、さあ出発となった時、一人が異変に気付いた。
「おい、もう10時やぞ・・・」全員が驚きの声を上げた。「そんな筈は・・・」起きてすぐ用意をし、飯の後片付けも捨てるだけで1時間もかかってないはずである。しかし実際には3時間も過ぎていることになるのだ。全員首をかしげ、
とりあえず頂上に向かい足を進め出した。2つ目の山小屋『麓麗山荘』を過ぎ、最後の山小屋までもう少しとなった時
、頂上へ向う一本の道の横に左へと別れている道があった。『新道』とだけ、やすけない看板に表示があった。
一向は悩んだが朝の一件もあり、途中で日が暮れてきても大変なので『新道』と表示のある道を選んだ。
さて、新道に入ったものの道は悪く狭い、無理から作った様な道だったそうだ。ようやく頂上が見え出した頃、
昼も過ぎ、ますます一行は先を急いだ。なぜなら予定では頂上で飯を食い、夕方には下山する予定だったのだ。
しかし頂上が見えているものの、進んでも進んでも頂上には辿り着けなかった。それどころか時間は16時を指し、
下山時間も危うくなってきた。「ちょっと、変やな。ここは諦めて(山を)降りひんか・・・」と父が提案すると全員が
頷いたそうだった。
そのまま振り返りざまに全員が急いで山を降りだしたがすぐに谷の下に山小屋を確認した。誰もが最後の山小屋
(下から数えて3つ目)であると確信したが、その割には早すぎると不審に思った。4時間以上も歩いているのだから
・・・。しかし更に驚いたのはそこは、なんと昨夜泊まった一つ目の山小屋だったのだ。と言うことは皆が4時間以上
かけて一生懸命、登っていたつもりが降りていたことになるということなのだろうか・・・。気味悪く感じながら深夜遅く
帰宅した父はすぐにその晩、私に話してくれたのが以上の話である。父は小学生から山に登っている山男である。
「今日、登ったみんなも山に慣れてるのに、6時間も登って頂上に着けへん言うのはありえへんねんけどなぁ・・・」と
首をかしげていた。
その話を聞き、幽霊見たさに北山に行こうと言い出し、実際、友人を誘い行ったのがこれから紹介する私の体験
談である。
朝7時に京橋を出発した一行は別段、大きな問題も無く北山の登山口、出合い橋の停留所に着いた。どんどん
山道を進み、人魂らしきモノを見たと言う一つ目の山小屋に着いたのだが、そこは荒れ果て、中にはカマドウマが
飛び跳ねていて、とても一晩泊まれる様な状態ではありませんでした。父の話からは数年(正確には6,7年だと思う
のだが)経っているので仕方ないかと思い、もうひとつ上の小屋を目指し出発した。しばらく登り、夕方前には二つ目
の小屋『麓麗山荘』に着いた。ドアには鍵がかかっていたのだが著者達も若かったせいか、窓から入り内側から鍵を
あけ一晩の宿をそこに決めたのだった。
ここまで話して、奇怪な霊体験を期待された読者もいるかもしれないが、残念ながら・・・何も無かった。
深夜に夜間登山の連中に訪れられたのには驚かされた。一人は2mも横に飛び上がり、もう一人は腰を抜かしそうに
なるほど驚いたのだが・・・。
そうして何事も無く、無事に帰ってきたのだが驚くべき事実を父の口から聞くことになる。
「どうやった?北山は?」「うん、一つ目の小屋は汚かったんで、もう一つ上の小屋に泊まってん。」
「・・・ふーん。・・・そうか・・・何もなかったんか?」「うん、別に・・・。何で?」
著者はその後2回も行き、泊まったが心霊現象には見舞われなかった。
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