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Voice of Shari'ahタリバン政権のラジオ放送で、パシュト語かダリ語によるモノでいずれもDJと音楽コーランなどが聴ける。 タリバン政権の放送局
※要注意!ココは危ない領域
※「お尋ね者リスト」各自をクリックすると(左端の人は除く)FBIのリストが開きます。
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*イスラム原理主義として、現在アフガニスタンで制圧的な政権を 維持するタリバンと。今回の同時多発テロを始めとした一連の テロを企てていると、アメリカから国際指名手配を受けた オサマ・ビン・ラディンとの関係。
【タリバン】
【オサマ・ビン・ラディン】
Voice of Shari'ahオサマ・ビン・ラディンやタリバンやオマールなどの言葉が出てくるが、わたしには意味はまったく不明。 タリバン政権の放送局
【オサマ・ビン・ラディン】下記で更に詳しく、情報を得られます。
http://pws.prserv.net/hosaka/shuji/osama/osama1.htm *osama bin ladenにつていて
ソ連が1979年12月「アフガニスタンの治安を回復する」と言う名目で軍事介入。真の狙いは不凍港を求めてインド洋・中東に向かうルートを、確保したかったと言われている。ソ連は10万人以上の軍隊を率いてアフガニスタンに介入。これに抵抗したのが、反ソ運動をしていたイスラム教徒たちであった。(ビン・ラディンも、その1人だ)祖国を救うべく、そしてイスラムを蹂躙するものを排除するために彼らはゲリラ戦でソ連に立ち向かった。また他のイスラム諸国の教徒たちもイスラムの名の下に、アフガンに馳せ参じてゲリラ活動を展開した。このゲリラ活動を支援していたのが、アメリカとパキスタンとサウジアラビアだ。アメリカは武器とゲリラ戦術を、パキスタンは訓練場を、サウジアラビアはその資金を、それぞれ提供し一流のゲリラを養成した。余談になるが、現在イスラム原理主義として、あっちこっちで「アラブ・アフガン」と呼ばれる人たちがテロ活動をしている。この人たちはソ連介入のときにアフガニスタンに馳せ参じゲリラ養成所で訓練を受けた外国のイスラム教徒たちである。ソ連撤退後、彼らは自分たちの国に帰り反政府活動・反米活動をしている。アメリカがもっとも恐れる人物、「オサマ・ビン・ラディン」氏がその一人である。
【タリバン】 その他の 【イスラム原理主義者組織と活動】に、ついては
http://www.mine.ne.jp/a-rans/afghan/word.html#7_1 こちらを参考にしてください。
「タリバン」とはイスラム神学生「タリブ」の複数形のこと。彼らのほとんどはジハードのときにパキスタンに逃れた難民、またはその子供たちで、パシュトゥーン人で構成されている。その名の通りマドラサ(イスラムの学校)の生徒たちだ。根拠地は南部の都市カンダハル。このカンダハルという町はソ連侵攻以前から貧しい町で、後進地区だった。教育もあまり十分ではなく、イスラムの教えもパシュトゥーン人の掟「パシュトゥーンワリ」と混ざったモノだ。彼らの指導者はムラー・ムハンマド・オマル。カンダハル近郊の農村のムラー(イスラム指導者)だった。長期化する内戦を憂い弟子たち共に立ち上がった。それが94年春のこと。
タリバンの指導者、ムラー・ムハンマド・オマルは1996年4月4日、あるビルの屋上に予言者ムハンマドの外套を着て現れた。この外套は60年間、聖地から持ち出されたことのないものだった。ムラー・オマルがこの外套を着て屋上に立ち、風に翻させたりすると、下の広場に集まっていたムラー(イスラム指導者)たちは大声で叫んだ「アミール・ウル・モミンイーン!」この「アミール・ウル・モミンイーン」とは「全世界のムスリムたちの指導者」という意味である。しかしこの行為は、アフガニスタン国内のムスリムだけでなく世界中のムスリムに対する侮辱でもあった。学識もなく、部族的権威もなく、預言者の血筋とも関係のない貧しい村のムラーが、これほど重要な称号を勝手に名乗ったからだ。これは彼らのイスラム知識の無さを大いに示している良い例であろう。※少し余談になるが、オマル師は片目がナイのだがコレはソ連軍との戦いの時に負傷した際、ナイフで自らの負傷した片目を、抉り出した時のものだと言われている。
そして現在、各勢力の残兵は(故)マスード将軍が指揮する「北部同盟」の元に集まった。少数精鋭のこの北部同盟だけが唯一タリバンに抵抗しているグループである。しかし、その支配地域はアフガニスタン全土の5〜10%にすぎない。90%以上をタリバンが支配しているのだ。このタリバン支配の状況により、各国支援の様子も以下のように変わった。
タリバン
マスード(北部同盟)
パキスタン
タジキスタン
(サウジアラビア)
ウズベキスタン
イラン
インド
またタリバンは国際的な承認を受けていない。承認しているのはパキスタン・サウジアラビア・アラブ首長国連邦の3カ国のみである。さらに、国土の90%以上を獲得しているにも関わらず国連の代表権も持っていない。代表権は依然、北部同盟のラバニ大統領が握っている。
【ヘクマティアルとパキスタンのつながり】
文中によくでてくる「ヘクマティアルとパキスタンのつながり」について。ダウド政権以前から、パキスタンとアフガニスタンは国境問題でもめていた。そこでパキスタンは、ペシャワールに逃れた人々の中でもっとも過激な反体制活動をしていたヘクマティアルに眼を付けたのだ。しかもヘクマティアルはパシュトゥーン人、民族的なつながりもある。パキスタンには都合の良い人材だったのだ。タリバン登場までヘクマティアルは他の勢力よりも多くの支援を受けていた。 【過激な処刑方法】 タリバンはすべての文化と娯楽を禁じた。スポーツですら禁止している。ところが処刑は公開で行われることが多い。なぜか?一つには「見せしめ効果」があるからだろう。タリバンに刃向かった者はこうなる、と。そしてもう一つは、競技場を人々が求める娯楽の代わりに処刑を行っているのではないだろうか。過激な処刑、しかもそれは公開。ある競技場で行われた公開処刑には1万人以上の男性(女性は参加できない)が「見物人」として訪れていた。 【女性の存在を否定】 なぜタリバンはここまで女性に対して厳しいのか?アハマド・ラシッド著『タリバン』のなかで次のように分析されている。タリバンを構成している「タリブ」たちは女性と関わりを持つことがなく全くの男社会で育ってきた。マドラサ(イスラム神学校)では、女性の支配と事実上の排除が男らしさの力強い象徴であった。だから女性に自由を与えることは「女性に妥協した」として一般兵士たちの支持を失いかねない。
文中によくでてくる「ヘクマティアルとパキスタンのつながり」について。ダウド政権以前から、パキスタンとアフガニスタンは国境問題でもめていた。そこでパキスタンは、ペシャワールに逃れた人々の中でもっとも過激な反体制活動をしていたヘクマティアルに眼を付けたのだ。しかもヘクマティアルはパシュトゥーン人、民族的なつながりもある。パキスタンには都合の良い人材だったのだ。タリバン登場までヘクマティアルは他の勢力よりも多くの支援を受けていた。
【過激な処刑方法】
タリバンはすべての文化と娯楽を禁じた。スポーツですら禁止している。ところが処刑は公開で行われることが多い。なぜか?一つには「見せしめ効果」があるからだろう。タリバンに刃向かった者はこうなる、と。そしてもう一つは、競技場を人々が求める娯楽の代わりに処刑を行っているのではないだろうか。過激な処刑、しかもそれは公開。ある競技場で行われた公開処刑には1万人以上の男性(女性は参加できない)が「見物人」として訪れていた。
【女性の存在を否定】
なぜタリバンはここまで女性に対して厳しいのか?アハマド・ラシッド著『タリバン』のなかで次のように分析されている。タリバンを構成している「タリブ」たちは女性と関わりを持つことがなく全くの男社会で育ってきた。マドラサ(イスラム神学校)では、女性の支配と事実上の排除が男らしさの力強い象徴であった。だから女性に自由を与えることは「女性に妥協した」として一般兵士たちの支持を失いかねない。
また同著の中でタリバン幹部たちは次のようにコメントしている。「女性に自由を与えることによりタリブたちの“性的機会の可能性”が増加し、兵士たちは弱くなり、堕落し、これまでと同じ熱意では戦わなくなるだろう」さらにタリバン幹部たちは南部の貧しい村々で育った。そこは、とても保守的で女性は常に全身を隠さなければならない。学校がないので、少女たちは学校に行ったコトがない。このような環境で育った幹部たちは、ソレが当たり前だと思っていた。つまり「女性の存在を否定」しているのには、幹部の育った環境が大きく影響している。そして、それを実行してしまったために、後戻りができなくなってしまったのだ。
http://rawa.fancymarketing.net/index.html*Revolutionary Association of the Women of Afghanistan (RAWA)
RAWAのサイトでは、タリバンによる市民に対する支配下の模様が写真で掲載されています。 【かなり衝撃的な映像もあります。】
※この写真は、チャドルで顔を隠したアフガンの女性。「北部同盟」の管轄地域では、コレを被る女性は稀で主にタリバンが、支配する首都カブールで見られる光景。
※チャドルまたは(ブルカ)とも言う。
あなたは、この親子を見て胸が痛みませんか???
【アヘンの飛躍的増加】 国連麻薬取り締まり計画によると、95年のカンダハルでの麻薬生産は、2460ヘクタールのケシ畑から79トン。それが96年になると、3160ヘクタールの畑から120トン。次いで97年にはタリバンの支配がカンダハル州から北方に広がる中でアフガニスタン全体のアヘン生産量は25%も上昇し、2800トンになった。
【アヘンの飛躍的増加】
国連麻薬取り締まり計画によると、95年のカンダハルでの麻薬生産は、2460ヘクタールのケシ畑から79トン。それが96年になると、3160ヘクタールの畑から120トン。次いで97年にはタリバンの支配がカンダハル州から北方に広がる中でアフガニスタン全体のアヘン生産量は25%も上昇し、2800トンになった。
この麻薬は近隣諸国に流れている。パキスタンには79年にはヘロイン中毒者は、いなかったが86年には65万人、92年には300万人を数え、99年には推定500万人と言われた。イラン政府は98年、国内に120万人の麻薬中毒者がいることを認めた。実際の数字は300万人近いとも言われている。イランではほんの数オンスのヘロインを所持していただけでも死刑になるにもかかわらずこの数字だ。99年1月の国際会議でタジキスタンは、アフガニスタンから同国に一日に1トンの割合で麻薬が密輸されていると報告。ウズベキスタンは98年にアフガニスタンから同国に密輸された麻薬が11%増えたと報告してる。そして近隣諸国に流れた麻薬はロシア・EU・アメリカなどに渡る。
【運送マフィアによる密輸貿易】 この密輸貿易は1950年にパキスタンとアフガニスタンが、結んだ「ATT協定」(アフガン・トランジット協定)が始まりだ。この協定は、パキスタンが内陸国のアフガニスタンに無関税の物資をカラチ港(アラビア海に面したパキスタンの港)から輸入する事を認めたのである。運送業者はカラチからコンテナを運び、国境を越えアフガニスタンで一定量売り残りをパキスタンに持ち帰って売った。パキスタン人はこのおかげで、無関税で安い海外製品を手に入れる事が出来た。設立当初から、この貿易システムには抜け穴が用意されていた、とも言える。
【運送マフィアによる密輸貿易】
この密輸貿易は1950年にパキスタンとアフガニスタンが、結んだ「ATT協定」(アフガン・トランジット協定)が始まりだ。この協定は、パキスタンが内陸国のアフガニスタンに無関税の物資をカラチ港(アラビア海に面したパキスタンの港)から輸入する事を認めたのである。運送業者はカラチからコンテナを運び、国境を越えアフガニスタンで一定量売り残りをパキスタンに持ち帰って売った。パキスタン人はこのおかげで、無関税で安い海外製品を手に入れる事が出来た。設立当初から、この貿易システムには抜け穴が用意されていた、とも言える。
【彼らの起こしたテロ事件や関わりがあるとされる紛争】 これらはすべて、タリバンやビン・ラディンと何らかの関係がある。スーダンもビン・ラディンとのつながりがある。カシミールではタリバン兵やアラブ・アフガンがパキスタン側の戦士として、インド軍と戦っている。その訓練施設はビン・ラディンの軍事施設である。チェチェンのイスラム過激派リーダーは元アフガン戦士。中央アジア諸国のイスラム過激派はタリバンとのつながりがある。アルジェリアは最初のアラブ・アフガンが活動を開始した国。不正選挙から内戦に突入した。世界貿易センタービル爆破の実行犯はアラブ・アフガン。その首謀者アブデル・ラーマンを釈放させるために、彼の部下たちがルクソールでテロを行った。ビン・ラディンは彼らに資金を提供している。この様相は、まさに「全イスラムを結んで入念に作られた個人と組織のネットワーク」である。 【パキスタンの仲介】 パキスタン軍がオサマ・ビン・ラディンにタリバンを紹介したと言われてる。なぜなら、彼の豊富な資金とアフガニスタンに残した軍事施設「ホスト基地」をタリバンが使えるようになると、カシミール紛争に投入するゲリラ兵を、かくまうた為の聖域が出来るからだ。パキスタンとしては、カシミールで闘争しているイスラム集団を自国内に留めておくことはまずい。カシミール戦士たちを、かくまうことで「テロ支援国家」と呼ばれかねない。そこでタリバンとビン・ラディンを頼って彼らをアフガニスタンにかくまおうとした。 【肯定的なもの】 文中の通り、25年以上続いているアフガニスタンの混乱は肯定的なものを、なにも残さなかった。しかし一つだけあった。それがアメリカとイランの接近だ。98年以降、アメリカにとってこの地域の安定を考える上で、話し相手になるのはパキスタンではなくイランだ。それはお互いの恐怖の対象が同じだったからに他ならない。そう、それはタリバン、またはオサマ・ビン・ラディンである。もちろんイランに改革派のハタミ大統領が現れなかったら、こうはいかなかったであろう。ちなみにイランは、イスラム世界で一番はじめに「公式に」タリバンの女性迫害について糾弾した国だ。アメリカがテロ支援国の落胤を押し、人権侵害が甚だしいと決めつけた、あのイランが、である。
【彼らの起こしたテロ事件や関わりがあるとされる紛争】
これらはすべて、タリバンやビン・ラディンと何らかの関係がある。スーダンもビン・ラディンとのつながりがある。カシミールではタリバン兵やアラブ・アフガンがパキスタン側の戦士として、インド軍と戦っている。その訓練施設はビン・ラディンの軍事施設である。チェチェンのイスラム過激派リーダーは元アフガン戦士。中央アジア諸国のイスラム過激派はタリバンとのつながりがある。アルジェリアは最初のアラブ・アフガンが活動を開始した国。不正選挙から内戦に突入した。世界貿易センタービル爆破の実行犯はアラブ・アフガン。その首謀者アブデル・ラーマンを釈放させるために、彼の部下たちがルクソールでテロを行った。ビン・ラディンは彼らに資金を提供している。この様相は、まさに「全イスラムを結んで入念に作られた個人と組織のネットワーク」である。
【パキスタンの仲介】
パキスタン軍がオサマ・ビン・ラディンにタリバンを紹介したと言われてる。なぜなら、彼の豊富な資金とアフガニスタンに残した軍事施設「ホスト基地」をタリバンが使えるようになると、カシミール紛争に投入するゲリラ兵を、かくまうた為の聖域が出来るからだ。パキスタンとしては、カシミールで闘争しているイスラム集団を自国内に留めておくことはまずい。カシミール戦士たちを、かくまうことで「テロ支援国家」と呼ばれかねない。そこでタリバンとビン・ラディンを頼って彼らをアフガニスタンにかくまおうとした。
【肯定的なもの】
文中の通り、25年以上続いているアフガニスタンの混乱は肯定的なものを、なにも残さなかった。しかし一つだけあった。それがアメリカとイランの接近だ。98年以降、アメリカにとってこの地域の安定を考える上で、話し相手になるのはパキスタンではなくイランだ。それはお互いの恐怖の対象が同じだったからに他ならない。そう、それはタリバン、またはオサマ・ビン・ラディンである。もちろんイランに改革派のハタミ大統領が現れなかったら、こうはいかなかったであろう。ちなみにイランは、イスラム世界で一番はじめに「公式に」タリバンの女性迫害について糾弾した国だ。アメリカがテロ支援国の落胤を押し、人権侵害が甚だしいと決めつけた、あのイランが、である。
こちらは国際ジャーナリスト、 田中宇(たなか さかい)氏のHPより 抜粋させていただきました。 尚、国際ジャーナリスト、 田中宇(たなか さかい)氏のウエブサイト 「世界はどう動いているか」 http://tanakanews.com/では、 バックナンバーを読むことができます。 また「タリバン」の本も出されています。
国内外社会問題言いたい放題!
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