ト ル コ 日 記 筆者 解法者
「※落葉注」
これは解法者氏が平成16年12月にトルコを視察された記録です。
貴重な資料としてご参考に供したくとりまとめさせて頂きました。
| トルコ日記 解法者氏投稿文による | |
| 1 | トルコという国(1) |
| 2 | トルコという国(2) |
| 3 | トルコという国(3) |
| 4 | トルコという国(4) |
| 5 | 政教分離 |
| 6 | 外国人参政権 |
| 7 | イスタンブール |
| 8 | アンカラ・カッパドキア |
| 9 | コンヤ・パムッカレ・エフェス |
| 10 | イズミール・ベルガマ |
| 11 | 再びイスタンブール |
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| トルコ日記 |
| (1)トルコという国(1) トルコ民族がトルコ(アナトリア)に定住したのは比較的新しく、11世紀半ばである。元は中央アジア、ウラル山脈の東側の草原に住んでいた。6世紀に勃興した「突厥(トッケツーチュルク)」の名で有名である。中国の「唐」に押されて西進し、イラン系民族を駆逐し、イスラムに改宗してこの地に至ったのである。 言語は、日本と同じウラル・アルタイ語に属し、語順は日本語と同じで助詞もある。漢字を除けば日本語を学ぶのはそう難しくないそうだ。トルコ語の母語は中国の新疆・ウイグル地域に住むウイグル語であり、ウイグル人とトルコ人がそれぞれの言葉で話してもほとんど意思が通じるという。民族舞踊もウイグルで見たものと同じだった。遊牧民の伝統が残されているという。 トルコの国名は、この「突厥(トッケツーチュルク)」から由来したものと言われている。 トルコ(アナトリア)の東部にセルジューク=トルコ帝国(1071年〜1308年―モンゴル帝国に併合)が11世紀に成立し、イスラム世界の主導権をこの地に住むアラブ人から奪った。その後、トルコ(アナトリア)の西部からオスマン=トルコ帝国(1299年〜1923年)が生まれ、隆盛を極め、今日のイラン・イラク、シリア、パレスティナばかりかアフリカのエジプトはおろかチェニジアまで支配し、ブルガリアなど東欧も支配する大国家に成長した。 現在、トルコの民族分布は、人口6960万人(2002年推定)のうち、トルコ族―70%、クルドー17%、ギリシャ、アルメニア、クルジア、ユダヤなど70民族にも及んでいる。なお、トルコ政府は、すべてトルコ人であるとして、少数民族を認めていない。 宗教は99%がイスラム教徒である。 (2)トルコという国(2) トルコ、面積は日本の約2倍、人口は約半分である。 温帯に属しているが、気温は日本よりどの月も5度くらい低い。乾季と雨季があり、夏が乾季、冬が雨季となっている。降水量は日本の1/3位。 東部(旧ソ連側)が高く、西部(エーゲ海・地中海側)に向かって低くなっている。東部は寒く、西部は暖かい。中部・東部・北部(黒海側)は降雪がある。今回、旅した中部・東部地方も雪景色のなかにあった。 首都は中部のアンカラで人口約400万人、イスタンブールが最大の都市で、人口は東京とほぼ同じの1200万人である。 国内総生産(GDP)は、1、831億ドル(2002年)で、日本の4.6%、国民1人当たりの国内総生産(GDP)は、2、631ドル(2002年)で、日本の8.4%である。 国花はチューリップで、オランダはトルコよりこれを持って行って栽培して有名となった。ヨーグルトはブルガリアが有名であるが、これも「遊牧国家」であるトルコの特産品で、オスマン=トルコ帝国が伝えたものである。 日本の1円は13500円相当であるが、来年(2005年)1月1日より、日本の1円は13.5トルコリラ相当になるように通貨が切り上げとなり、新通貨が発行される。したがって、今回の旅行は通貨の計算(換算)が大変であった。例えば、コーヒー1杯が400万トルコリラとなり、後は推して知るべしであった。 物価は高く、イスタンブールは世界の都市のなかで8番目(東京は2番目)、1ヶ月に4人家族で20万円くらい必要だという。 (3)トルコという国(3) 経済は上向いており、地方に行ってもビル・住宅の建設ラッシュが見て取れた。古い家はドンドンと新しいアパートに建て替えられているようである。これは日本と並ぶ世界有数の地震国であることにもよるという。 インフレ率も年9%に止まっている。 驚いたのはどんな片田舎に行って貧しいと言うしかない家を見ても「ソーラ」が屋根に備え付けられていた。環境に配慮しているとは思えるが、この国でも「ソーラ」の設置費用は高く、政府の援助があるにしても余裕がある証拠であろう。また、必ず家には衛生放送のアンテナが取り付けられていたことである。 田舎に行っても、子供たちの服装は粗末という感じはなかった。 教育は、5.3.3.4制である。義務教育は5年である。ただ、周辺国からの移民が年々増加していることもあって、学校が不足し、中等教育までは午前・午後の2部制となっている。移民の増加は周辺国の政治的不安定と経済の格差であるという。 犯罪率(一般刑法犯―交通事犯、麻薬犯などを除く)は極めて低く、ガイドの話では犯罪者の割合は100人当りで0.4件である。イギリスは10.6件、ドイツは7.7件、イタリアは7.6件、フランスは6.8件、スペインは7.0件である。日本は2.1件(外国人犯罪者を除けば1.99件)となっている(トルコを除いては「犯罪白書」平成15年版より引用)。 この数字は疑わしいが、地方小都市でも、深夜10時ころ女性が一人歩きしているのをよく見かけた。日本よりも治安は<格段>に良いと感じた (4)トルコという国(4) 2003年のある新聞社の世論調査によれば、トルコ人に日本が好きかと聞くと90%が好きだと答えたという。しかし、どうして好きですかという質問に対してはその90%がわからないと答えたそうだ。ムード的な「親日国」だと言って良い。それでも、世界で一番好きな国は「日本」であるようだ。 「親日国」にしたのは、「エルトゥールル号遭難事件」で、これはトルコでも度々テレビなどで放映されている(学校の教科書には掲載されているという情報が日本にも伝わっているが、現在ではない)。これは「明治天皇」への答礼のため、1890年トルコ使節団を乗せたエルトゥールル号が和歌山県串本市大島で遭難し多くの乗組員が溺死したが、地元民が70名を救助し、手厚く保護し、後に日本船でトルコに帰国させ、それに同行した日本人の一人がそのままトルコに残り、日本文化を伝えたというものである。その後の「日露戦争」の勝利がロシアとの紛争に悩んでいたトルコを熱狂させ、一段と日本に対する親近感を増加させたという。 近時でもヨーロッパ側とアジア側を隔てるボスボラス海峡をつなぐイスタンブールの「ファティフ・メフッメット大橋」を1988年にODAで日本の企業が建設し、1999年のトルコ西部大地震をキッカケに「ボスボラス大橋(イギリスが建設)」と「ファティフ・メフメット大橋」の耐震補強工事を行い、ボスボラス海峡をつなぐ「地下鉄道」も日本のODAで建設中である。このことはトルコ人なら誰でも知っており、現在も有数な「親日国」と言ってよい。 ODAをもらっておきながら、全く感謝していない「中国」と何と言う違いであろうか。 トルコ、中国の何分の一であろうか。日本政府の<馬鹿さ加減>が伝わって来る。外務省の「ODA白書 2003年版」によれば、2002年度までの累計で、中国はインドネシアの3兆6千億円の次の3兆円にも達している。トルコは4千245億円で14位に過ぎない。9位の韓国、10位のスリランカよりも少ない。日本には「ODA」の戦略的分析に欠けている。 日本人はこのことを知っているだろうか。少なくとも日本人の90%がトルコを好きだ。世界で一番好きだと言うだろうか。トルコへ年間訪れる日本人が6万人、フランスには100万人だと言う。この落差はどこから来るのだろうか。 行く先々で「日本人」かと聞かれた。子ども、女学生、女子大生ばかりか大人にも聞かれ、一緒に写真に撮ってくれと頼まれた。 (5)政教分離 トルコはイスラム国家ではあるが、政教分離が徹底している。1923年にトルコ初代大統領に就任した「ムスタファ・ケマル」(アタチュルクとも呼ばれるが、これはトルコの父の意味)がオスマン=トルコ帝国(1299年〜1923年)の末期の混乱した状況のなかで西欧列強の植民地化の危機からトルコを救った際の指針であった。 現在、トルコにはイスラム寺院(モスク)が3万5千あるが、そこの「導師」は全て国家公務員で国家から給与を支給されている。「導師」となるためには大学で宗教学を修めなければならず、イスラム教はもちろんキリスト教、ユダヤ教、仏教にまで精通していることが要求され、大変な難関であるという。他のイスラム国家のように私的な神学校は許されず、イスラム至上主義を説くものは厳しく罰せられる。 また、教団は存在を許されない。例えば、創価学会などは存在しないし、結成できず、布教も許されない。宗教政党も許されない。 この「ムスタファ・ケマル」の功績は学校でも繰り返し教え込まれ、「政教分離」政策を徹底的に叩き込まれる。つまり、トルコはイスラム国家であるが、イスラム教に限らず宗教は国家により厳しく統制されている。特に「軍」はこの考えの下にあり、憲法裁判所とともに「政教分離」政策に反するものを常に監視している。首相でも容赦しない。解任することも行われる。 この政策に対しては、他のイスラム国家から反発が多く、昨年の2度にわたるイスタンブールの爆破テロ事件も「シリア」の差し金によるものである国民は固く信じている。クルド人をけしかけているのも「シリア」だという。 なお、他のイスラム国家とは異なり、イスラム教徒のトルコ人と結婚してもイスラム教に改宗する必要はない。強制もされない。女性がスカーフ(トルコ語のパトゥ)も被ることは強制されない。街を歩いていてもパトゥを被っている女性は年配の人でも見当たらない。田舎でも同じだった。パトゥを被っている女性は少数民族に限られるという。他のイスラム国家では外国人と言えどもイスラム寺院に入るときはスカーフを被ることを強要されるが、トルコではそのようなことはない。 女性の地位は高く、女性の首相も生まれている。 (6)外国人参政権 トルコは、外国人に国政・地方とも参政権を一切認めていない。 トルコにおける外国人は5年間居住すれば、トルコ国籍を取得できる。その際には、母国の国籍を失わない。つまり「二重国籍」が認められている。これは、トルコが他民族国家であることによる。ただし、例えば「日本人」であってもその日本国籍を失わずにトルコ国籍を取得できるが、日本の国籍法によって、いずれかの国籍を選択しなければならないことにはなる。 トルコの外国人には「永住権」は認められていない。オスマン=トルコ帝国(1299年〜1923年)時代には非常に広い植民地を有しており、そこからの移住者の子孫がトルコ国内に居住している。6960万人の半数が移住者の子孫であるともいわれている。しかし、トルコ国籍を選択しなかった者は「外国人」として扱われる。 わが国の「在日朝鮮人」などに与えられる「特別永住権」などという<特権>は認められていない。外国国籍のままでトルコの国政・地方の参政権を与えよなどという運動は全くない。トルコ国民もそのような考えを持っている者は皆無だという。 日本に留学経験のあるガイドにも日本における「在日朝鮮人」などからの国政・地方の参政権要求運動についての意見を求めたが、全く理解できなかった。 なお、オスマン=トルコ帝国(1299年〜1923年)が有していた植民地は、1683年当時最大であり、南は、サウジアラビア、エジプト、リビア、チェニジア、北は、ウクライナ、ハンガリー、ブルガリア、ユーゴ、ギリシャ、などであったが、これについての<謝罪>などは全く行ってない。 このような植民地の拡大によって、トルコには現在70くらいの民族が居住し、トルコ国籍を有している。クルド人も同じである。したがって、トルコ政府は「少数民族問題」は存在しないと言う。国民の半分が旧植民地からの移住者の子孫であり、それが70民族にも及び、かつ、通婚が行われていれば、「少数民族問題」もないのであろう。 わが国で「在日朝鮮人問題」が目立つのは「少数民族」が少なく、「在日朝鮮人」が大多数を占めるからであろう。権利の主張ができるだけ<幸せ>というべきではなかろうか。トルコだったら「永住権」もないから、<外国人>でいるのは大変だろう。 (7)イスタンブール イスタンブール、地中海に接していると誤解されているが、そうではない。地中海の一部の「エーゲ海」からダーダネルス海峡を通り、アルマラ海に入り、ボスボラス海峡から黒海に至るところにある。ボスボラス海峡の東側が「アジアサイド」、西側を「ヨーロッパサイド」という。さらに、「ヨーロッパサイド」の中ほどに「金角湾」があり、この西側が「新市街」、東側が「旧市街」である。オスマン=トルコ帝国時代の遺跡のほとんどが、この「ヨーロッパサイド」にある。 オスマン=トルコ帝国時代の皇帝の居城である「トプカプ宮殿」、末期の居城「ドルマパチェ宮殿」、東ローマ帝国の360年に完成されたコンスタンチヌス二世の手になる教会をオスマン=トルコ帝国時代の1453年にイスラム寺院として改修した「アヤソフィア」、 他のイスラム国家とは異なり、キリスト教会を破壊しないで、そのままイスラム寺院に改修したのがうれしい。キリストモザイク画も漆喰で隠されて、再び世に現れた貴重なものもある。その他にも「スルタンアフメッド・ジャミィ(ブルーモスク)」などイスラム寺院がある。 東ローマ帝国の遺跡も多く、地下宮殿(地下貯水池)、ヴァレンス水道橋などがある。 ローマ帝国時代の遺跡の上にオスマン=トルコ帝国時代の遺跡が重なっている。そんな感じがする。 イスタンブール、アジアとヨーロッパを結んでいる。したがって、道行く人々を見ていてもアジア特有の顔は見かけない。ヨーロッパ人と同じ顔のようだ。人口1200万人で東京都とほぼ同じ。大都市だ。坂の多い街で港町という点からもポルトガルのリスボンに似ていた。 バザール(語源はバザーのウイグル語)は、屋根のある市場を意味する「カパル・チャプシュ(通称 グランドバザール)」、庶民的な「ムスル・チャルシス(通称 エジプシャンバザール)」が有名だ。イスラム教国ではモスク(イスラム寺院)の一階がバザールとなっており、ここからの家賃でモスク(イスラム寺院)の運営費に充てるというものが多く、「リュステム・バジャ」もその一つである。 (8)アンカラ・カッパドキア トルコの首都で、トルコの初代大統領「ムスタファ・ケマル」の手によって造られた町で、人口は337万人。ここへはイスタンブールから10時間かけて夜行列車で行った。 駅はアジア側のハイダルパジャ駅から出発するが、この駅は駅前広場がなく、とても小さな駅だった。 夏の新疆・ウイグル地区でも25時間の汽車の旅をしたが、中国では人を単に運ぶ、人を荷物と同じに考えるのと異なり、人に快適なサービスを提供するという気持ちが現れていた。全くサービスというものが感じられない中国でどうして「オリンピック」が開催されるか理解できない。中国では4人の個室であったが(6人の個室もあった)、トルコでは2人の個室で中は広く、コート掛け、洗面台まで備え付けられていた。旅行用トランクも十分に置くことができた。中国では座席の下に詰め込むしかなかった。トイレも客車の前後にあり、一つしかなく行列だった中国とは全く違っていた。 ここからの観光の目玉は、「カッパドキアー世界遺産」、キリスト教徒がローマ帝国からの迫害を逃れて岩山の中をくり抜いて住んだ「地下都市」があり、なかには、教会、フレスコ画が残されている。迷路になっており通路は狭く、ベトナムでのベトコンのトンネルを思い出した。現在でも岩山に人が住み着いている。 ここから、さらに東部への旅が始まる。紀元前18世紀ころの「ヒッタイト王国」の都ハットシャシュ(現在のボアズカレ)、紀元前1世紀ころの「コンマネゲ王国」の神々の神像(現在は像が崩れ落ちて首だけがある)がある「ネムルトダーゥ」、ノアの箱舟で有名な「アララット山(5137m)」、黒海地方があり、訪れたことがあるが、今回は、寒く積雪のため断念した。 (9)コンヤ・パムッカレ・エフェス カッパドキアから地中海に向かって下る。「コンヤ」、旋舞教団で有名なイスラム神秘主義(スーフィズム)の一派「メヴラーナ教団―11世紀」があったところである。現在は「政教分離政策」で閉鎖されている。旋舞(セマー)によって恍惚状態になってアッラーに近づくとされる。数人の修行僧が白い服をまとってぐるぐると円を描いて回る様は花のようでもあり、一種異様な感じがする。伝統を残すため、旋舞を行う踊り手たちの保存が図られている。 ここから、パムッカレに向かう。ここは世界遺産で有名な石灰棚の温泉がある。前のときはこの石灰棚のすぐ上にホテルが立ち並び、そこから石灰棚の温泉を眺め、温泉にも入れたが、今ではホテルも撤去され、温泉にも入れない。石灰棚の温泉は壮大であるが、今は歩くだけとなっている。歩いてみると温泉が干上がっているものが多い。自然破壊は凄まじい。石灰棚の温泉に隣接して紀元前190年からの「ベルガモン王国」の都市の跡がある。保存状態は良く、円形劇場、大浴場などが残されている。彼らも石灰棚の温泉を利用したのであろう。 さらに、ここからトルコ最大のローマ時代の紀元前後の遺跡「エフェス・オレンイェリ」に向かう。保存状態は極めて良く、剣闘士と猛獣が戦わされた大劇場、ケルスス図書館がある。図書館は壮麗な建物で当時の栄華を偲ぶことができる。娼館の跡もある。ここには足型があって、これより小さな足の者は入館を許されなかったという。公衆トイレもあり、中国のように仕切りがない。顔を見合わせて用を足したのだろう。中国はローマ時代から進歩してない。神殿、住宅、その他の都市機能の全てが揃っている。ローマ時代の遺跡としては世界有数であろう。 ここはエーゲ海に近く、気温も17、8度で東京より暖かい。アンカラなどの中部・東部とは全く違う。 (10)イズミール・ベルガマ トルコ第3の都市でエーゲ海に面している「イズミール」を経て、ベルガマ(ベルガモン)に向かう。ここはアレキサンダー大王の死後の部下によって紀元前4世紀に建国された「ベルガモン王国」の跡である。トラヤヌス神殿、エジプトのアレキサンドリアと図書館に対抗して立てられた図書館もあり、パヒルスに代わっての羊皮紙(ドイツ語のベルガモントの語源)はここで発明された。山の斜面を利用した円形劇場は音響効果が良いことで知られていた。ゼウス大祭壇の浮彫芸術はドイツが持ち去り、現在ベルリンにある。 近くには「アスクレピオン」という古代医療センターがあり、蛇の彫刻を施した円柱が残されている。蛇は脱皮するがこれが生命の生まれ変わりと信じられ、今でも医院のシンボルとなっている。 ここから、イスタンブルールに向かってエーゲ沿いを北上し「トロイ遺跡」に向かう。 「トロイ遺跡」、紀元前3000年ころから始まり、エーゲ海の交易都市として栄えた。破壊されては建設し、遺跡は9層になっている。主としてギリシャによって攻略されたが、後背地に広がる肥沃な大地は痩せた大地のギリシャから見れば極めて魅力的だったと思われる。トロイ戦争は何世紀に渡って行われたのである。 ギリシャの英雄叙事詩「イーリアス(ホメロス作?)」の「トロイの木馬」の伝説を信じたドイツ人「シュリーマン」によって発掘されたが、彼は、遺物の獲得を目的にしていたので、遺跡を破壊し、ドイツに持ち帰り、現在はロシアが占有しており、トルコからの返還請求に応じていない。したがって、「トロイ遺跡」にはさしたる遺跡・遺物はない。期待はしない方が良いと思える。 (11)再びイスタンブール トロイ遺跡のすぐ側はダーダネルス海峡で、ここを渡ってイスタンブールに向かう。 こうして、トルコを半周したことになる。日本の2/3くらいを10日間で回った。今度は新疆・ウイグルと違って大変多くの日本人観光客に出会った。300人くらいには出会ったであろうか。 韓国人観光客も多くいた。こちらは朝鮮語ができるから、話しかけると「在日韓国人(僑胞)」かとよく言われた。いつも<チンチャ イルボンサラム(本物の日本人)>と答えたが、その度に驚かれた。正直に言うと、日本人ではなく「日本野郎(イルボンノム)」、「倭奴(ウェノム)」、「ジョッパリ(下駄を履く野郎)」だと言ってやったこともあるのだが。これもアラマァと言われた。普段は使っているのだが、日本人に面と向かって言われるとは思ってもいなかったのであろう。それにしても、日本人で朝鮮語ができる者は珍しいのであろう。こちらは口が悪いので言い返した「社長夫人さま、国が破産しているのによくトルコに旅行されていますね」と、「国とは関係ないわよ。自分が一番大切」、良くぞ言ってくださる。これが日本人だったら喧嘩になりかねないが、朝鮮人は一向に気にしない。こうした性質は羨ましくもある。会話に遠慮が要らないから楽しい。 トルコ、親日国で日本人にはやさしい。トルコ人、日本人と韓国人との区別もつかないし、韓国など全く知らない人が多い。トルコ人、日本語がわかるわけでもないから、韓国人、日本人に成りすますという。都合が良いからだ。こういうところも朝鮮人らしい。 ローマ時代の遺跡は圧巻である。オスマン=トルコ帝国時代の遺跡も忘れてはならない。 この2つがトルコ観光の目玉だろう。 土産物、高い物では「絨毯」、「トルコ石」、「皮のコート」があるが、「ナザール・ボンジュゥ(神の目―魔よけ)」が良い。大きいものから小さいものまであるが、一つ100円から1000円くらいだ。 とにかく、トルコは面白い。フランスなどの比ではない。ずいぶん旅をしたが、ヨーロッパでは、ポルトガル・スペインと並ぶ楽しい国だ。ぜひ訪れて欲しいと願っている。 |