死刑制度論考 筆者 解法者
「※落葉注」
これは解法者氏がご専門の法律学者としての観点から多くの資料を駆使した優れた論考であると思われましたのでとりまとめさせて頂きました。
| 死刑制度論考 解法者氏投稿文による | |
| 1 | アメリカの現状(1) |
| 2 | アメリカの現状(2) |
| 3 | ドイツの現状 |
| 4 | 世界の情勢 |
| 5 | 結論(1) |
| 6 | 結論(2) |
| 7 | 結論(3) |
| 8 | 結論(4) |
| 9 | 結論(5) |
| 死刑制度論考 |
| (1)アメリカの現状(1) アメリカという国は「死刑廃止論者」にとって都合の悪い国だ。 1999年11月現在で、アメリカの各州で、死刑があるかどうかの分類を見てみると、次のとおりとなる(「知っていますか 死刑と人権 一問一答」 アムネスティ・インターナショナル日本支部編著 解放出版社 1999年12月10日発行 より引用)。 1、 死刑の制度があり、実際に死刑が執行されている州 26州 2、 死刑の制度はあるが、死刑が執行されていない州 12州 3、 死刑が廃止されている州 12州 死刑制度と犯罪(殺人罪、強姦罪)の関係を見てみると次のようになる(「死刑 ★アメリカの現実 下巻」 イアン・グレイ、モイラ・スタンレー著 恒友出版 1991年12月18日発行 より引用)。1990年の統計である。 ※ 殺人・強姦件数(10万人当たり)、人口(万人) 1、 死刑の制度があり、実際に死刑が執行されている州 テキサス 殺人 2022件(12.2件)、強姦 8199件(48.4件)、 1678 カリフォルニア 殺人 2936件(10.4件)、強姦 11780件(41.8件)、 2817 ワイオミング 殺人 12件( 2.5件)、強姦 173件(24.0件)、 47 ニューハンプシャー 殺人 25件( 2.3件)、強姦 276件(25.2件)、 110 2、 死刑制度があるが、死刑が執行されていない州 ニューメキシコ 殺人 173件(11.5件)、強姦 580件(38.4件)、 151 テネシー 殺人 462件( 9.4件)、強姦 2201件(44.7件)、 492 コロラド 殺人 187件( 5.7件)、強姦 1269件(38.6件)、 329 ニュージャージー 殺人 411件( 5.3件)、強姦 2600件(33.7件)、 722 3、死刑制度が廃止されている州 ワシントンDC 殺人 369件(59.4件)、強姦 165件(26.6件)、 62 ニューヨーク 殺人 2244件(12.5件)、強姦 2244件(30.6件)、 1790 ★ 当時、死刑制度が廃止されていた。 ノースダコダ 殺人 12件( 1.8件)、強姦 74件(11.2件)、 68 アイオワ 殺人 47件( 1.7件)、強姦 466件(15.7件)、 283 これらのことから、死刑制度と死刑がある殺人・強姦とは関係ないことがわかる。 したがって、死刑制度がなければ、犯罪(殺人・強姦)が減少するという見解は誤りである。また、死刑制度があれば、犯罪(殺人・強姦)が減少する、あるいは犯罪(殺人・強姦)がかえって増加するという見解も誤りである。 なお、1990年の統計とは古く、新しい統計を探したが、見当たらなかった。そのため、犯罪(殺人・強姦)の推移が不明である。これは今後の課題として残しておく。それにしても<死刑廃止論者>からも、新しい統計の提示がない。これは理解できない。比較できれば自説に有利となると考えるのだが。 死刑制度目次に戻る (2)アメリカの現状(2) アメリカでは、死刑存置論者が増加している。市であれ、州であれ、国であれ、死刑廃止論者はその長には当選しないといわれている。 ニューヨーク州で3期12年の知事を務めた「クモオ」も1994年の選挙で死刑復活を公約に掲げる共和党の無名新人の「パタキ」に敗れ去った。「ジョージ・ブッシュ(現在のブッシュ大統領の父)」も1988年の大統領選挙で、死刑反対の「マイケル・デュカスキス」民主党候補に圧勝した。「ビル・クリントン」大統領候補も死刑には積極的だった。今や、共和党であれ民主党であれ<死刑反対>では選挙に当選する可能性はない。 死刑賛成者は年々増加している(「死刑 ★アメリカの現実 下巻」)、特に、ニューヨーク・テロ以来、アメリカでも死刑制度を支持する者が増加している。 看守の中には「終身刑で一生刑務所にいることになれば、囚人は希望をなくし、非協力的になる。それが凶暴化に発展する場合も多く、死刑制度を望む」という者もいる(宮本倫好 文教大学教授 死刑の大国アメリカ 亜紀書房 1998年5月10日発行)。<死刑廃止論者>はこのような現実を看過しているとも考えられる。 いずれにせよ、アメリカでは単純に死刑賛成かどうかを問えば、賛成者は8割を越えるといわれる(宮本 前掲書)。以前は死刑反対に若者が圧倒的に多かったが、今では大学の新入生の3/4が死刑に賛成とされる(イアン・グレイ、モイラ・スタンレー 前掲書)。 アメリカでの死刑廃止への道は遠い。 死刑制度目次に戻る (3)ドイツの現状 西ドイツでは、1949年5月23日にドイツ連邦記基本法(憲法)によって、死刑が廃止された。最高刑は終身刑となった(東ドイツでは1990年の統一まで、依然として死刑制度が維持されて来た)。そして、1963年〜1994年の間の殺人罪は20%低下しているとされる。 (H・M・ウェーバー フルダ専門大学教授―「死刑廃止国(ヨーヨッパ)調査報告書 日本弁護士連合会編集・発行 2001年8月31日発行 P84」)。 ところが、ドイツでは、終身刑に処せられた者が、1990年 56人、1992年 65人、 1994年 86人、1996年 100人、1998年 128人と増加している。これは東ドイツが統一されたため人口が増えたことにも要因があるとは思えるが、年々増加しているのは、本来死刑に処されるべき者が終身刑に処せられたということを意味している。 ドイツの死刑制度への復活賛成者は、1996年の統計では、西ドイツ地域においては、賛成35%,反対45%であるが、東ドイツ地域では、賛成45%,反対31%となっており、賛成が 年々増加している。これについても、同教授は質問の仕方によって左右されるとし、賛成者の増加に疑問を投げかけているが、そうであるとするならば、質問の仕方によって死刑制度復活への反対者も減少する可能性がある。 死刑制度目次に戻る (4)世界の情勢 世界で死刑制度については、1999年4月現在で、次のとおりである(アムネスティ・インターナショナル日本支部 前掲書)。 1、死刑存置国 127国 @ 現に死刑を実施している国 90国 A 死刑制度はあるが、10年以上実施していない国 23国 B 通常犯罪については死刑制度は廃止したが、特殊な犯罪(例 軍犯罪、内乱罪など) には死刑が残されている国 14国 2、死刑廃止国 68国 死刑制度を保持している地域は、アフリカ、中近東が多い。死刑制度が廃止されている国は、ヨーロッパ・ロシア地域に多い。 死刑の執行が一番多いのは、中国で1998年には1068人といわれている(アムネスティ・インターナショナル日本支部 前掲書―中国は統計を発表していない[筆者の調査])。アメリカが同年に68人(死刑確定囚は3500名以上―前掲書)。しかし、実際は北朝鮮、イラク、イランだといわれているが、統計を発表していないので不明である。 死刑制度目次に戻る (5)結論(1) 死刑制度が死刑に相当する犯罪を減少させるかについては、そうではないと思える。 しかし、問題は制度ではなく、実際に死刑が執行されるかどうかではないかと考える。 ナチスがデンマークを占領していたときに、連合軍の夜間爆撃を防止するために「夜間灯火管制」を敷いたが効果がなかった。そこで、命令に違反した者は即刻死刑にすると布告したところ、違反者が1名も出なかったという例がある。また、イギリス占領下の19世紀のインドで<サギース>という秘密結社が旅行者などを200万人も殺したが、手をこまねいていたイギリスが殺人者を逮捕し即刻公開死刑に処したところ根絶に成功した例もある。 これを宮本倫好 文教大学教授は特異な例だとするが(死刑の大国アメリカ 亜紀書房 1998年5月10日発行)、そうではない。中国は世界一の死刑大国であるが、公開制度の死刑制度がそれでも犯罪の減少をもたらしているとする指摘がある。また、同氏はアメリカで死刑制度があるから殺人を犯したという犯罪者を例に挙げているが、日本でも大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件の加害者にもその傾向が見られるが、それこそ、特殊な例を挙げて、死刑制度に反対していると考える。さらに、「死刑制度は抑止効果をもたらすどころか、殺人事件は逆に増えている」と考えているが、これについても「1人死刑にするごとに平均18件の殺人が抑制され、死刑を1%増やすと105件の殺人が予防される」という見解もある(S・レイソン ノースカロライナ大学教授)。軽々しく死刑制度が殺人者の増加をもたらす、などと言うべきではない。いずれにせよ、同氏のいう「死刑復活後10年間で、死刑を実施している州では死刑廃止州より警官殺しが2倍だった」などの資料は見当たらなかった(宮本倫好 文教大学教授の前掲書は、掲載した数値の出典を明らかにしていないので、事実かどうかを調べるのに苦労したー学者としての見識を疑う)。 死刑制度目次に戻る (6)結論(2) 「 ねじまき鳥#」氏の引用文は以上のとおり、自己に都合のよいものを寄せ集めたものに過ぎません。学習者の態度としては引用する論考を鵜呑みにするのではなく、自分で原典に当たって、論証することが大切です。なお、同氏の引用する「イギリスに関しては、死刑制度あり(1946〜65)と死刑制度なし(1966〜85)とを比較すると、殺人数が60%増加(ただし同じ時期に暴力犯罪が160%増加したのに比べるとはるかに少ない伸び率)」とは何を意味するのでしょうか? 殺人罪と暴力罪を比較しているのではありません。死刑制度を廃止したら、殺人が増えたと考えれば良いのです。この言い草は問題のすり替えです。いずれにせよ、正確なデーターが望まれるところです。宮本倫好 文教大学教授の前記の著作は詳細なデーターに基づいていないことから信頼性に大きく欠けると考えます。 死刑廃止論者は、自分に都合の良いデーターを挙げて論拠にしている傾向が強いのです。また、日本弁護士連合会、アムネスティ・インターナショナルなどは<死刑存置論者>を呼んで、見解を聞き、論証するという当たり前のことをやっていない。>死刑廃止論者<のみを呼び寄せて、討論を行うから、論拠が一方的になって、著しく信頼性に欠けると断言できます。 死刑制度目次に戻る (7)結論(3) 死刑が重犯罪者の予防に効果があると考えるが、それよりも被害者の無念、残された家族・友人の無念をどう晴らすか。に死刑制度の存置があると考えなければなりません。 >死刑廃止論者<は、その問いに十分に答えているとは言えません。「オウム真理教事件」、 「大阪教育大学付属池田小学校の児童殺傷事件」の被害者で加害者の死刑を望まない者を知りません。>死刑廃止論者<が彼らを説得できないことは疑問の余地がありません。被害者が復讐に燃えている不道徳者であると非難することもできません。 刑法の根幹をなす、刑罰は<応報か>、それとも<教育か>の問題とも関連します。 死刑囚に教育が可能かについては、まず、不可能の者が多いと考えてもよいと思います。不可能だからこそ<死刑>が宣告されるのであることを忘れてはなりません。これが可能だとして死刑に反対する者があれば、それは論理というより信念でしょう。 無期懲役刑に処せられて仮釈放された者が再び殺人を犯す例もあります。こうなっては、司法の責任放棄であると非難されても仕方がないでしょう。 現在、日本で「教育刑主義」を唱えている刑法学者は皆無ではなかろうか(かなりの数の刑法の著作を当たったが見つけることができなかった)。それを見ても「教育刑主義」は支持を失っているのではないかと考えます。 死刑制度目次に戻る (8)結論(4) 死刑制度がなかったら、被害者の家族は<復讐>に走らないとも限らない。これを笑ってはならない。人の感情などというものは理屈で推し量ることができない。人はそう冷静ではないのだ。誰が感情的だと非難できるであろうか。 法治国家が成り立って行くためには、適正な刑の執行が前提だと考える。この均衡が破れたときには、人は司法を信頼しなくなり<復讐>を考えることは否定できない。 法治国家の崩壊が始まる。わが国の国民に<死刑制度>は必要ないと説得できるであろうか。>死刑廃止論者<の運動が広まって行かないのはそこにある。 加えて、重犯罪者を社会から隔離するという目的も無視できない。わが国の「終身刑(無期懲役)制度」を見ても、10年くらい服役すると仮釈放が待っている。これでは何のための終身刑かわからない。最近では、「無期懲役」に代えて「終身刑」を導入すべきであるという考えが現れて来ている。 しかし、重犯罪者を社会から隔離するという目的は確保されるが、やはり、被害者の感情をどう考えるかという問題が依然として残る。先に述べたように、看守などの刑務所職員の「終身刑で一生刑務所にいることになれば、囚人は希望をなくし、非協力的になる。それが凶暴化に発展する場合も多く、死刑制度を望む」という考えや終身刑に要する費用をどう考えるかという問題も考えなければならない。<教育不能>な者に国民の負担を強いることにはならないだろうか? >重犯罪者を社会から隔離するという「究極的な目的」は<死刑>にあるという側面もありうるのである。 死刑制度目次に戻る (9)結論(5) 死刑の存置を望む者が<反>人権派で、死刑の廃止を望む者が人権派ではない。死刑を廃止することが<人権>に添うものでもない。わが国ではえてしてそのような分類がなされることが多い。しかし、死刑存置論者も死刑廃止論者のいずれも<人権主義者>である。 これは、力点をどこに置くのか、つまり、加害者に置くのか、被害者に置くのか、また、広く国民に限らず日本に滞在する者の安全をどう考えるかにも密接に関係してくる。安易に<人権>、<非人権>というレッテルを貼ることは避けなければならない。死刑一つを考えるについても<人権>は衝突する。殺した者の人権か、殺された者の人権か、である。 繰り返すが<力点>をどこに置くだけのことである。 「世田谷一家殺人事件」、「福岡殺人事件」、被害者に全く落ち度がない。この加害者を死刑にするということが<非人権>といえるのであろうか。 死刑廃止論者は、死刑は誤判の場合には取り返しがつかないことを理由にする。しかし、人が人を裁くのだ。誤りは致し方ない。これを以って、死刑存置論者を>非人道的<と非難してはならない。再審制度もあり、完全ではないが考え得る救済措置は採られている。現在の死刑執行も再審にかかっている者については死刑を執行しない。これでは不十分であるというなら、これはもはや<裁判制度>の否定ということになる。 死刑制度目次に戻る |
| no | 項 目 | |
| 1 | 欧米列強の特許制度01 | |
| 2 | 欧米列強の特許制度02 | |
| 3 | 欧米列強の特許制度03 | |
| 4 | 欧米列強の特許制度04 | |
| 高橋是清伝(の前半) | ||
| 欧米列強の特許制度 | ||
| 明治前発明家伝 | ||
| 明治十八年特許法の誕生 | ||
| 明治前期発明家伝 | ||
| 不平等条約と特許法 | ||
| 明治後期発明家伝 | ||
| 大正・昭和初期発明家伝 | ||
| 大正十年特許法の成立 | ||
| (1)『欧米列強の特許制度01』 ◆◆◆世界最古のイギリスの特許制度◆◆◆ 日本の発明特許に入る前に、欧米列強の制度の歴史を簡単に記しておこう。 世界で最初の特許制度ができたのは、十四世紀のイギリスだといわれている。 エドワード三世の時代(西暦一三二七〜七七年/日本の南北朝時代)に、《特許状(レターズパテント)》と呼ばれる制度ができた。 これは、海外から優れた技術者を招いたとき、彼らから不満が出ないように、独占的にその仕事ができるように免許を与える制度だった。 つまり、外国からの技術導入を円滑にする手段であったが、「専売」という特権を国が与えたのである。 (この時代の日本には、「座」という一種の特許制度があった。同時代の日本にも類似の制度があったことになる) イギリスのこの思想は現在の特許制度にも一部伝わっているが、やがてこの《特許状》は二種類に分かれ、 @ある商工業を独占する権利を与える。 A製造方法の創始者や新物品の発明者がその業を営む排他的な特権を与える。 ――となった。 ところが、十六世紀後半のエリザベス一世(西暦一五五八〜一六〇三年)の時代になって、王室の収入を増やすためにこの《特許状》が乱発されるようになり、独占による物価の上昇などの弊害が起こり、王室へ批判が集まるようになった。 そこで十七世紀にはいったジェームズ一世治世の一六二四年(江戸時代前期)に、議会によって、《独占条例(スタチュートオブモノポリーズ)》という法律ができた。 これは、 @議会の承認が得られた者、 または、 A新規な製造や発明をなした者、 のみに、「専売特権」が与えられる。 ――というものであった。 このAがいまの特許制度に近い内容で、したがってこの《独占条例》が近代以降の特許制度の出発点だと言われている。 イギリスの西暦一六一七年の第一号特許は、地図の制作に関係したものらしい(文献はありますが、略します)。 一六一七年というのは出願の年なので、それがAによって一六二四年に登録されたのかもしれないが、不明である。いずれにせよ、きわめて古い特許の例である。 イギリスの工業所有権制度は、もちろんその後さらに近代化したが、その内容は、実用新案を除けば、日本の制度に比較的似ている。 先に出願した人が優先権をもつ「先願主義」である。 発明特許の日本史目次へ戻る (2)『欧米列強の特許制度02』 ◆◆◆憲法に発明者の保護がうたわれたアメリカの特許制度◆◆◆ アメリカ建国の父といわれる、ジョージ・ワシントンは、一七八七年(江戸時代中期)に憲法制定会議の議長になって憲法を策定し、翌年、憲法発効と同時に初代大統領となった。 この憲法の第一条のなかに、著作権法や特許法にかんする、つぎの重要な条文がある。 「科学と有用な技術を振興するために、ある一定の期間を限って著者や発明者にそれぞれの著作物および発明に対して独占的な権利を確保する」 いかにもアメリカらしいが、この憲法の精神にもとづいて、一七九〇年に近代的な特許法が施行された。 アメリカの制度は、現在では世界でも少数派に属するが、先に発明した人物が優先権をもつ「先発明主義」である。 だから誰が真の発明者かについての争いが起こりやすく、裁判も盛んになる。 日本は高橋是清がヨーロッパとアメリカを比較してアメリカがはるかに整っていると考えたので、初期には「先発明主義」を採用していたが、明治の終わりからドイツやイギリス式の「先願主義」に変わった。 アメリカの大統領は、憲法に特許法的な条文を記すくらいだから、発明者の権利保護に熱心だったし、また、自分自身も発明に熱を入れていた。 大統領やその他の著名人に、いくつかのエピソードが残されている。 初代大統領ジョージ・ワシントンの特許として知られているものに、「ワイン・コースター」と「種まき鍬」がある。 前者は酒席で使用する薬味瓶の底にローラーをつけてテーブルの上を走らせるようにしたもので、じっさいに宴会で使われたと言われている。 また後者は、二十八歳のときのアイディアだとされており、日記に残されているそうである。 さすが、憲法に特許と著作権を盛り込んだワシントンだけのことはある。 アメリカ民主主義の父といわれる第三代大統領トマス・ジェファーソンにも新式机の発明があり、第十六代大統領のリンカーンも、船底が擦れそうな浅瀬でも船を浮かす方法の特許を、一八四九年に取得している。 そのほか、政治家としてはフランクリンも有名だし、文学者ではマーク・トウエインの「糊つきスクラップ・ブック」や「チョッキの後につける革紐」は有名である。さらにトウエインは遊びについての特許でかなり儲けたといわれている。 アメリカ特許の第一号は、一七九〇年七月三十一日に登録された。 フィラデルフィアのサミュエル・ホプキンスという人物の発明で、内容は工業や肥料に用いられるカリ化合物の製造に関するものである。 本文の右下にジョージ・ワシントンのサインがある。 その下の数行に、司法長官エドマンド・ランドルフの特許証明文とサインがある。 (これも資料は持っておりますが、省略します) 発明特許の日本史目次へ戻る (3)『欧米列強の特許制度03』 ◆◆◆ヨーロッパの特許制度と国際問題◆◆◆ ヨーロッパ大陸では、フランスが一七九一年に、ドイツが一八七七年に、近代的な特許制度ができている。 フランスの制度はユニークで、発明内容についての審査をおこなわない「無審査主義」である。 事務書類としての不備がなければただちに登録してしまうので、出願から登録までの期間がとても短いという利点があるが、それが真に新しいかどうかは、争いによって決めなければならない。 日本はフランスの影響はほとんど受けておらず、初期から「審査主義」をとっている。 ドイツの特許制度の特色は、実用新案制度をともなっていることである。 すなわち、工業所有権*のなかに、特許・実用新案・意匠・商標の四つがある。 日本は、明治三十八年(一九〇五年)にこのドイツ式の実用新案制度を取り入れた。 したがって日本の特許制度は、初期はアメリカに近かったが、明治末からしだいにドイツ式になっていった。 こうして欧米各国の特許制度が整ってくると、国際間の協調が問題になってくる。 ここまでの各国の制度は、すべてその国の国内での権利保護であって、外国にまでは規制がおよばない。 したがって外国では模倣のし放題ということになってしまう。 このことは、十九世紀半ばから問題になり、明治六年のウイーン万博会場での会議をきっかけにして十年ほどの議論を経たのち、一八八三年三月のパリ会議で、国際条約が締結された。 ◆◆◆《パリ条約》の精神と加盟した国々◆◆◆ この条約は、一八八三年(明治十六年)三月二十日に署名されたので、正式には、 《工業所有権保護に関する一八八三年三月二十日のパリ条約》――と呼ばれる。 その後たびたび会議がひらかれて改正がなされてきたので、厳密には、改正の日付を何種類も前に付して、最後を《パリ条約》とする名称で呼ばれている。 これは長い名なので、《工業所有権保護に関するパリ条約》 ――とも呼ばれるし、また、工業所有権に関する条約であることが自明の場合には、 《パリ条約》――と略称されている。 パリ会議に参加したのは二十一カ国だったが、批准したのは、 ベルギー ブラジル スペイン フランス グアテマラ イタリア オランダ ポルトガル サルバドル セルビア スイス の十一カ国だった。 (欧米列強は日本で儲けるために、日本もこの条約に加盟するよう圧力をかけてきたが、日本は必死で抵抗した。国内の産業がズタズタにされるからである) *最近変更されて産業財産権と呼ばれるようになったが、本稿は歴史なので、工業所有権と記す。 発明特許の日本史目次へ戻る (4)『欧米列強の特許制度04』 つぎに、とくに重要な条文を記しておこう。 第二条 締約国は他の締盟国の臣民又は人民に対し、特許、意匠、及び商標の保護に関して内国民待遇を与えるべきこと 第四条 いずれかの締盟国において正規に特許出願又は意匠若しくは商標の登録出願をした者は、他の締盟国において出願することに関し、第三者の権利を留保して一定期間優先権を有すること並びに優先期間は、特許については六ヶ月、意匠及び商標については三ヶ月とすること。海外の国については各一ヶ月を加えること。優先権の主張を伴う出願は、中間に第三者によって行われた行為によって不利な取扱いを受けないものとすること 第四条を見ると、特許の優先期間は、海を隔てた日本の場合には七ヶ月であるが、この期間が、日露戦争時に使用したマルコニーの無線など外国特許に微妙な影響を与えている。 (現在はもっと長期になっている) この条約は、翌一八八四年(明治十七年)六月六日に批准され、同年七月七日に発効した。 わが国は、高橋是清の建議などによって、不平等条約が改正されるまではこの条約に加盟しないとして、頑張ってきたことは既述(1高橋是清伝)のとおりであるが、明治三十二年(一八九九年)に条約改正がなったのを機に、この《パリ条約》に加盟して、欧米列強と同等な条件で発明競争を強いられるようになる。 (これは明治の技術者にとっては大変な苦難であった) なお加盟国は、このときには、 スウエーデン イギリス ノルウェー アメリカ デンマーク を加えて、十六カ国になっていた。 この加盟に伴う国内法の整備については、のちに記す。 (「特許の《パリ条約》加盟問題」と「不平等条約改正問題」の関係については、1の高 橋是清伝でも記しましたが、のちの6『不平等条約と特許法』において詳しく述べます。なお《パリ条約》のほかに著作権の《ベルヌ条約》についても似たことが言えるようです) ◆◆◆共産圏の特許制度◆◆◆ 現在では、多くの元共産圏の国々が、自由世界と似た制度をもつようになったようだが、ソ連が巨大な力を持っていた時代においては、かなり異なっていた。 もともと共産主義の思想は個人の財産を否定するものであるため、個人の知的財産を保護する思想は相容れないものがあるが、似た制度はできていた。 それは一九四一年のソ連の命令が基準になっていたといわれる。 そこでは、特許権に相当するものが二つに分けられていた。 @発明者証・・・発明は国に買い上げられ、発明者は英雄扱いされたり報酬を受けたり昇進したりする。 A特許権・・・・自由世界と同じく個人に与えられる権利。 Aは西側の特許に近いように思われるが、共産国では個人で商売したり工場を運営したりすることはほとんど不可能なので、あまり意味はなく、大部分は@になっていたようである。 ソ連の特許統計で、年に数件しか登録が無い数値が見つかるが、これはAのみを集計した結果であろう。 現在では、多くの元共産圏が《パリ条約》に加盟しており、ロシア、中国、北朝鮮なども入っている。 ただし、加盟していることと、実働が伴っていることとは別であり、途上国に真似され放題という日本にとっての難問題もたくさんある。 アメリカは力ずくで押さえつけるが、日本にはその力が無いため、真似されては泣くという情けない事件が多い。 (欧米列強の特許制度完) 発明特許の日本史目次へ戻る |